長い休み。子どもたちと遊びに出かけたり旅行に行ったりするたびに目を見張るのは、その体力快復のすばやさである。「つかれた~」「くたびれた~」と半泣きで眠たがりグズる間は悪魔のように扱いづらいのだが、スイッチオフするや否やストンと深く眠り、2時間もスヤスヤすればもう天使。すっかりご機嫌になってしまうのだから、すごい。

大人ではこうはいかない。もはやうたた寝程度では疲れが増すばかりの親は、外出ごとにこの快復のさまに驚きつつ、心底ウンザリさせられる。HP(ヒットポイント)もMP(マジックポイント)も元通りか、より強化した子どもを扱うだけの余力が、こちらには無い。そしてそんな子どもたちの快復についてゆけない自分の中に「老い」を見てしまう……などといったら、「なにを若輩者が」と、どこかからお叱りを受けてしまうかもしれないが。
この夏、9歳の長女はお盆の一週間以外ほぼ毎日8時半から12時まで、小学校のマーチングバンドの練習に通っていた。楽器練習にはエアコンのかかった音楽室が使えるものの、フォーメーションは炎天下の校庭だ。これで顔を真っ黒にして帰宅するや否や昼食を家で掻き込み、今度はレオタードに着替えて13時から18時までモダンバレエの特訓のためスタジオに走る。よく持つなあと思うくらいだが本人いたって飄々としている。課題が真っ白なのはご愛嬌。病気がちな幼児時代の面影はもうなく、身体つきもだいぶんガッシリしてきた。

そして保育園年長になった5歳の次女も、今夏は単身群馬の山奥へのキャンプを体験した。出がけは不安と緊張で下痢し、眉毛をハの字にして泣き笑いのような表情でバスから手を振っていたくせに、帰ってくる時には満面の笑みで巨大なリュックを背負って走ってきて驚いた。姉がいないと何もできないようなところがあったのに、旅先での食事も残さず、夜もおねしょせず、帰りはバス酔いもせず。ひとまわりたくましくなって、ぐっと背も伸びた。もともと保育園は盆の3日間以外は毎日通常通りなので、9時17時元気に登園している。

また、親元でのんびり生活している1歳の三女も、日々新たな悪戯を編み出しつつ、親の隠したiPadを素早く発見しては子ども用アプリの起動、操作を勝手に習熟。神経衰弱系のゲームや「手遊び歌」の動画を愛好し、歌って踊れる曲を着々と増やしている。

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かくして子どもたちは真夏の日々、朝早くから夕方までせっせと活動しており、体力の衰えた中年の親としては相当疲れるだろうと思うのだが、当人ら「べつに」ってなもんで恐れ入る。

しかし18時ごろに帰宅した後は、もう宿題と夕食と入浴を怒涛のスピードでこなさなければならない。娘たちはほぼ、20時半から21時までのあいだに意識を失ってしまうからだ。

たまに、ふとんまで辿りつけず廊下やリビングの片隅で行き倒れている姿を発見、悪趣味な親はその姿をスマホのカメラで撮影しては、仕事中の家人や友人のみ公開のSNSにアップして笑いのタネにする。

子どもたちの口は半開きで必ずヨダレが一筋、「全部使い果たしましたー!」という感じの潔い眠り方。そのまぬけぶりに笑いながら、実は、私はちょっぴり感動しているのだ。

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かれこれ10年子どもを育てている中で、子どもというものは夏にぐぐっと成長するものだということに気づいた。背丈はもちろん、こころもあたまもひと夏を過ぎると、まるで別人のようになる。

この夏の日々、たっぷりご飯を食べさせ、水を飲ませ、日光に当て、休ませ……なんだか育児というものはどこか植物を育てる方法に似ている。そうこうするうち、ぐんぐん伸び葉を繁らせていく我が家のベランダジャングルの植物たちの生長と、あれよあれよという間にぐいぐい成長する娘たちの育ちが重なる。

「育てさせていただいている者」の私は、そのダイナミックな変化に喜び目を細めつつ、このいのちの勢いに圧される。青くさい草いきれと、子どもたちの皮膚から発散する蒸気の熱さや匂いに咽る。

「まずいな、うかうかしていると負けちゃうぞ」と焦るが、「まあ負けてもいいかあ」とも思う。勢い強いいのちに対しての畏怖と敬意。プリミティヴな感動。これらを「感じる」機会をもらえたということ、これは子育ての醍醐味の一つだろう。


夏の植物らも、子どもたちも、不思議な光を身体の内側にたたえ、放散している。なんというか、日がな生きながら強い太陽光線を、その身にせっせと蓄光しているような気がする。

光を溜めて溜めて栄養にし、その燃焼のさいに再び発光して、周囲をあわく、しかし確かに、きらきらと照らす。そして照らされた者は、嬉しい。

発光するさまはエネルギッシュではあるのだが、植物や子どもたちのまとうその光自体は決してどぎつくなく、印象としては崇高とすら言える、気高い種類のものだ。

ただやはり疲労の極地に至ると、切れかけた蛍光灯のように鬱陶しい点滅を繰り返す。光と子どもは、似ている。植物と子どもは、似ている。光は植物を活かし子どもの心を明らめる。子どもは光を希望に、夜の闇に打ち克つ。子どもは朝を待ちわび、日の出とともに動き出す。そして夏の陽を一身に受けて今日の一日にも、育つ。

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マーチングもバレエも保育園も休みだったある午後、三姉妹はゆるくエアコンをかけたマンションの一室で、カーテンを閉めてジブリのDVDを、ソファに固まって観ていた。

体調を崩していた母は子どもたちの隣室で午睡に落ちようとしていた。汗ばんで発光というより発酵しかけたような体臭をまとう末娘が寄ってきて「まーま、おきてー」と言うのを、もう小柄な成人女性サイズの長女が制して妹を抱え上げ、揺すってあやしてくれる。「おかあさん眠らせてあげて?分かった?」「いやあようー」。すかさず5歳の次姉が「おやつあげる」とキッチンに立つ。「うん!」と機嫌を直して1歳が喜ぶ。

と、なにも掛けていなかった私に、コットンブランケットがふわっと掛けられ、背中がほわっと温かくなった。そっと去っていく長女の背中を目の端に見て、私はそのまま、眠った……。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。9歳5歳1歳三女の母。