在宅勤務規制、緩和へ 育休取得を促進 自民、参院選公約に(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130506/stt13050608060000-n1.htm

昨日こんなニュースを読んだ。一読して、ふぅん「規制緩和」か、まあ現状よりも改善の一歩と評価することは可能だろうなと思い流そうと思った。が、引っかかった。何か、引っかかった。

どこに引っかかったんだ?

もう1回読んだ。
結局、3回読んで、分かった。

キラーセンテンスはここだ。

<育休中でも、1日数時間の在宅勤務をこなすことは難しくない。>

「育休中でも、1日数時間の在宅勤務をこなすことは難しくない。」

……なるほど。

<難しくない。>

なるほど。


どうやら、現政権は、子どもを看ながらの「在宅労働」がどういうものかまったく分かってないし、これからも分かるつもりがないらしいことが分かった。おそらくこの記事の書き手の人も、分かってないだろうことも、分かった。

ここに、「0歳から3歳までの子どもを看ながら1日数時間の在宅勤務」という行為を、「日常的に」やったことがある人間が関っていないことに疑いはない。そもそも育児自体、やったことのある人間が関っていたかどうかすらあやしい。

以上かってに勘繰りした上で、以下暴言。

「お仕事、在宅なんだ。じゃあ子ども見ながらできるからいいネ♪」

このさらなるキラーワードに対する返歌を申し上げたいと思う。

振り返れば。筆者に対し、記念すべきこの初セリフを言い放った人は、最初の子どもを産んだ病院の助産師さんであった。

産後の生活指導を受けていた時、職業をきかれ、ニコニコ笑顔で「ラクでいいね♪」と言われた。

子を抱きながらも「子育て経験のない」、当時文字通りのぺーぺー母だった筆者。一瞬カチンと来たが否定する論拠もなく、「そうですネ……」と、曖昧に微笑んだ。


子ども見ながらできるかできないかなんて、まだ分からなかった。子育ての日々の何がどうなるかからして、なーんも分かってなかった。

「子どもを見ながらできる?!なわきゃねえだろ!!!」

と、今なら斬り捨てるんだけどなあ、即。実際にはもうちょっと上品に言うけどさ、「馬鹿こくでねえ!」って。

それでも、いまだにいる、「お仕事、在宅なんだ。じゃあ子ども見ながらできるからいいネ♪」と言いたがる人。

人、と言うか、筆頭はお役所か。「自宅事務所のフリーライター」の保育所入所は難しいから。点数が低いから、「子ども見ながらできるでしょ」という意味で。


まあ、そもそも「育休とか給付金ってなにそれオイシイの?」と鼻ホジで言っちゃいたいのがひがみっぽいフリーランスの本音ではある(育休=無給がデフォ!)。でもそれはこっち置いといて、だいたい「育休」とやらの「休」を文字通りの「休み」に読み違えているオバカサンが世の中いること自体が嘆かわしくて仕方がない。
ハァ?「休み」? 冗談じゃないよ。


健康に産まれた子ですら、いつ死にそうになるか予測できないのが新生児という存在である。母親は24時間、生存確認のため一刻も気の休まる間のないまま、マンツーで2時間毎に食事の世話(母乳やミルク)を行い、ほぼ同頻度でシモの世話(オムツ替え)。自分の食事やトイレや風呂の時間もマトモに取れない状態で、産後最初の1ヵ月を朦朧として過ごす。

そも腹が破裂しそうな臨月時は「無事産まれさえすれば」とだけ願うものだ。その後の身の振り方など分からん。

まだ来ぬ苦痛に思いを馳せるほどの余裕もヒマもない。ないが、しかしだ。産んだ直後からあんなにも、どこもかしこもが痛み眠るのもままならないとは、予想の斜め上過ぎた!

いわゆる正常分娩、安産と言われてもこれだ。出産時にチョキン切られた会陰の縫い目は、小用の度に引き連れ呻き声が漏れるほどに痛んだ。トイレットペーパーを当てるのも全身の勇気を振り絞る必要がある。「何コレ聞いてないよ!」と思った。母親学級でも教えてくれなかった。

無事生まれたという事は、子宮からでかい胎盤が剥がれ落ちたということで、その傷跡は自然に止血するため、のた打ち回るほどの収縮痛をもたらす。これも聞いてなかった。「鎮痛剤……鎮痛剤をくれ!」と泣いて頼んだが飲んでも生理痛の数倍痛かった。

さらに、月経の数倍量の血液を延々何週間も流し続ける、傷だらけの子宮……(これがまた股傷に滲みて痛い)。むろん腹をザックリ切る帝王切開ではその比ではないだろう、縫い傷との戦いが続く。

その身に加えて、母乳生産を開始したばかりの胸はいきなり腫れ上がってほぼ炎症。乳房は熱を帯び、ついでに身体も発熱して、これがいわゆる「乳腺炎」だと訊く。「でもこれも聞いてない!」
痛みで気が狂いそうになる。

八つ頭のように怒張した胸はちょっと触れるだけでも激痛を走らせ、吸いの下手な赤ちゃんに咥えられ続ける未熟な乳首は擦り切れて血が滲んだ。

何故こんなところが切れて血が出るのか解せぬ。母になるのがこんなに痛いものだなんて解せぬ。

「無事生まれさえすれば」と願い産まれた僥倖には感謝せねばならぬが、産んだらオシマイと思っていた自分の甘さがひたすら呪わしかった。もう、訳が分からないほどに、産婦と言う存在は満身創痍なのだ(余談だがここに更に膀胱炎や痔を併発するのはよくある話である)。これで産後鬱にならない方が不思議というものだ。それくらい、痛みと恐怖でいっぱいの「最初の7日間」であった。

こんな血まみれかつ乳まみれでヨレヨレ状態の産婦に無理をさせれば、所謂「産後の肥立ちが悪く」てポックリ逝くのも道理であろう。一昔前まで、そういう理由で女はよく死んだと祖母などから聞き及んでいたが、身に迫り、体感として、己の産後には理解できたのを覚えている。

お産自体も命がけだが、産後も命が怪しい状態が続く母体。そんな命の怪しい母と、生まれたてで命の不安定な赤子がセットの「産褥期」。

産後4週の「床上げ」まで炊事洗濯など冷える水仕事から解放される習俗は、まこと理にかなっているが、それは「最低限の」養生期間に過ぎない。

最初の1ヵ月が無事過ぎ、「良かった、死ななかった」とホッと一息つくのが「お宮参り」という行事である。しかし昔も今も「最低限」の期間を超えてのサポートはようよう得られず、多く2ヵ月目から産婦による「家事」が再開されるが、ここからが本番なのであった。
何の?
育児の。

それでも世話の対象が赤子のみで済む第一子の産後ならともかく、第二子以降の息つく暇の無さといったら、記録しておかない限り、日々記憶が喪失するレベル。

零細自営業を営む筆者は、産前のノルマが積み残っていたため、「床上げ」同時に自主産休を終えて業務を再開した。その第三子産後2ヵ月目のタイムテーブルを、当時の日記をもとに記しておきたい。いわゆる「育休期間中」「子どもを看ながら」の「在宅労働」がどういうものかの一端を、うかがい知っていただけるのではないかと思う。

どれほど<1日数時間の在宅勤務をこなすことは難しくない>か、ご理解いただけるのではないだろうか。

~2010年10月某日の記録~

6:00 三女に授乳(~6:25)オムツ交換
6:50 起床、朝食準備(豆乳シリアル、リンゴ、ヨーグルト)
7:00 夫、長女(小2)起床、朝食
7:15 夫出勤
7:20 洗濯開始(~8:00)
7:40 長女登校
7:50 次女(年少)起床、朝食
8:00 洗濯物を干す、2回目を回す(これは乾燥機まで。~11:30)
8:15 三女に授乳(~8:30)しながらメールチェック
8:30 次女の身支度、検温、保育園連絡帳記入、自分も着替え
8:40 三女のオムツ交換と着替え
8:45 三女を抱っこ紐に入れ次女の手を引き、徒歩にて出発
9:00 保育園到着、次女登園(~17:00)
9:30 ATM2ヵ所とスーパー経由で帰宅
9:40 三女をベッドに置いて自分の朝食、一休み
10:00 ふとんを畳み、干し、寝室とリビングに掃除機かけ、玄関廊下洗面リビングに雑巾がけ
10:20 キッチンに残った汚れ物を洗う
10:30 ぐずる三女に呼ばれて抱っこ、授乳(~10:50)、オムツ交換
11:00 三女を左手で抱いたまま右手で仕事開始(原稿執筆)
12:00 三女が深く眠った頃合いにスウィングベッドに移して傍に置く(仕事継続)
13:00 打ち合わせ電話がかかってきて三女目覚めて泣く。スウィングベッドを左足で揺らし泣き止ませながら電話(~13:30)、途中で抱っこして左腕に抱き、授乳
13:40 電話を切ってオムツ交換するもウンチが漏れており服全滅(自分のジーパンまで染みた)
13:50 仕事を中断して洗濯(手洗い)している間、三女激泣き
14:20 洗濯一段落するも三女泣き過ぎてリバース、また着替えさせる
14:40 乾いた洗濯物をソファに移して三女の服と自分の服、シーツ等を洗濯機に入れて洗う
15:00 布団を取り込んで寝室に敷き、授乳。そのまま意識を失う
15:40 インターホンが鳴る、宅急便、起きる
16:00 昼食を取っていないことを思い出し、冷凍食パンを焼いてインスタントコーヒーと食べる
16:30 学童から一人帰りしてきた長女帰宅、おやつ(昨日の焼き芋)を与える
16:45 長女を家に残し、寝ている三女を抱っこ紐に入れて次女のお迎えに行く
16:55 保育園到着、次女回収
17:00 帰り道にある雑貨屋に立ち寄り、店内の椅子で一休み。次女プレイコーナーで遊び始める
17:30 次女をなだめすかして帰宅、三女の重みに疲れ切って布団に倒れつつ授乳、オムツ交換、意識が遠ざかるなか長女の「音読」を聴く
18:00 夕食調理開始、並行して風呂洗い、長女次女の喧嘩仲裁、三女泣き喚いて阿鼻叫喚
18:40 夕食(カレイの煮つけ、ほうれん草のお浸し、昨日の南瓜煮たの残り、トマト、ワカメと豆腐の味噌汁。次女がカレイを拒否するのでレトルトカレーを温めて出す)
19:30 子どもたちテレビ、母ネットしながら授乳、オムツ交換
20:00 小学生の宿題と明日の持ち物チェック、保育園児の汚れ物を取り出して洗濯機に入れ、明日の持ち物を半分準備
20:30 上の2人の子を風呂に入れ、外で監督。出てきたら歯磨き
21:00 上の2人を寝室に。夫帰宅。忘れていた就寝前の投薬を託す。夕食を出す。三女にもう一回授乳
21:30 生ゴミ2袋を持ちPCを抱えて出奔、ゴミ捨てがてら近所のハンバーガーショップに向かう
21:45 Wi-Fi拾ってネットにつなぎ、メールチェックと返信を行いながら、昼間中断したきりの原稿書きを再開(雑誌連載4000字第一稿、ウェブ記事1200字×2、リライト、送稿)
0:30 ハンバーガーショップ閉店に伴い帰宅。授乳、オムツ交換
1:00 入浴
1:30 就寝
2:30 起きて授乳、オムツ交換、再度就寝
4:30 起きて授乳、オムツ交換、再度就寝
6:30 授乳、オムツ交換
6:40 寝不足感で朦朧としたまま起床、朝食準備
(以下繰り返し)


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。10歳6歳2歳三女の母。