共働き世帯が増え、自分の親や義両親に子どもの面倒を見てもらっているファミリーは少なくない。助かる反面、ときに「母乳が足りていないんじゃない? ミルク飲ませたら?」「抱っこばかりしていたら抱き癖がつく」など、今の育児の常識とは異なるアドバイスをされることも。

実の親なら反論できることもあるが、義両親には、「いや~、そうですかねぇ」と苦笑いをするしかなく、初めは小さかったはずの不満が、いつしか心の澱となっていく……。
その後あるとき(2~3年後くらい)、姑が幼いわが子に無断でチョコレートを与えるのを目撃したりして、「もーっ、やめてください!!」と大きな声を出してしまい、気まず~い空気が流れてしまうのだ。ああ、祖父母世代との「育児のズレ」はなぜ生まれてしまうのだろうか?


祖父母世代の育児はミルク全盛期だった


現在は母乳育児が見直されていて、完全母乳育児を目指すママも増えている。母乳は、最初はたくさん出なくても、赤ちゃんに吸わせることで順調になるといわれている。そのため母乳育児を頑張るママたちは、産後の疲れた体に鞭打ち、ふらふらになりながらも何度も授乳を繰り返すのだ。

で、そんなときに投げかけられる、「赤ちゃん、おなか空いているんじゃない? ミルク足したら?」という外野からの言葉。これは「大リーグ養成ギプス」をつけて特訓をする星飛雄馬に「外しちゃえば?」と言うようなもの……。配慮なき助言にはちゃぶ台をひっくり返したくなるところだが、その前に祖父母世代の育児を振り返ってみたい。

昭和30年代頃から、工業製品は優れているという幻想とともに、世界的に粉ミルクに頼る風潮が現れた。日本でも母乳育児をする人の割合は徐々に低下し、昭和45年には3割程度になったという。母乳が十分に出る人以外は、粉ミルクで授乳をしていたのであろう。そうなると、当時の母親世代にとって、「がんばって母乳を出す」という意識は現在ほどではなかったと思われる。

ママの心が弱っているときなどは、「母乳が足りない」との言葉を「母親失格」と受け止めてしまうこともある。だが、そこにあるのは単に認識の違い。彼女らに恐らく悪気はなく、何気ない言葉でママを傷つけているとは露ほども思っていないのかもしれない。


「抱き癖」は1940年代のアメリカの育児書に書かれていたもの


赤ちゃんが泣いたらどんどん抱っこしましょうというのが、現在の育児の定説。腱鞘炎になったり肩こりになったりしながらも、ママたちはできる限り抱っこをしている。そんなときにじじばばから投げかけられる、まさかの「抱っこばかりしていたら抱き癖がつくわよ」。

「抱き癖」は、1940年代にアメリカで発行された『スポック博士の育児書』に記されていたもの。今では驚きだが、このなかで、「赤ちゃんが泣いても抱っこしない」ことを推奨していた。この育児書は昭和30年代以降に日本でベストセラーとなり、当時の親たちに「抱き癖」という考え方が浸透したとされている。

しかし「抱き癖」は後の研究で改められ、スポック博士自身も、「赤ちゃんが泣いたら抱きましょう」と重版の際に書き換えた。しかしその頃には、祖父母世代の子育てもおおむね終了していたという……。


「育児のズレ」はあるものとして考える


そのほか、離乳食を始める時期や日光浴に対する考え方、虫歯菌の知識についても世代間のギャップがある。また、「孫」は「子ども」とは違って甘やかしたくなるのが性分。かわいい孫に、ついついおもちゃやお菓子を買い与えてしまう心理は理解できなくもない。

そもそも、たとえば健診で隣り合わせた同世代のママとだって、育児に対する考え方は異なっているものだ。「育児のズレ」は、もはや必然。祖父母世代が指摘したことに傷つくよりも、「そういう考え方もある」と受け流すほうが、しこりは残らないだろう。

もちろん、アレルギーの心配がある子にアレルギー食材を与えてしまうなど、明らかに受け入れられない場合はしっかりNOを伝えなければならないが、昔ながらの育児の知恵は有効なものもある。「赤ちゃんを寝かしつけるときはおんぶ紐よ!」と言われ、試してみたらハマったなんてことも。事実、昔ながらの育児グッズで昨今じわじわと売れ行きを伸ばしているものもあるそうだ。

親や祖父母の思いをよそに、子は育つ。子の幸せを願う気持ちはみんな同じ。「育児のズレ」は愛情の証ともいえるから、イライラしたり納得したりしながら、二人三脚で取り組んでいきたいものである。


中澤 夕美恵中澤 夕美恵
出版社、編集プロダクション勤務を経て、出産を機にフリーランスに。育児雑誌を中心に、恋愛コラムからメンズ向けムックまで幅広く編集、ライティング活動を続けている。11歳息子、8歳娘の母。