先日『ソロモン流』(テレビ東京)のゲストに滝沢眞規子さんが登場していました。
女性誌を読まない方にとっては「誰やねん!」だと思いますが、おそらく今『VERY』(光文社)で一番人気のあるモデルさんではないでしょうか。
ちなみに『VERY』とは、揺るぎない生活基盤を持つ30代奥様が愛読する雑誌で、合言葉は「パンがなければブーランジェリーに買いに行けばいいじゃない?ベンツで」。ウソです。「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」でした。
そんな『VERY』で活躍されている滝沢眞規子さん、通称“タキマキ”さんですから、もちろんため息の出るような生活を送られていました。運転席が左側にあるデッカイ車でインタビューを受けるタキマキさん、渋谷区にある100坪のお家でバランスボール腹筋をするタキマキさん、もちろんリビングには暖炉!小坂明子か!
そうそう、コレです。これぞ憧れのVERYモデル。
日曜の夜にきらめくような異次元の暮らしを見せつけられて、サザエさんとはまたベクトルの違う憂鬱をたっぷりといただいたのです。
女性誌を読まない方にとっては「誰やねん!」だと思いますが、おそらく今『VERY』(光文社)で一番人気のあるモデルさんではないでしょうか。
ちなみに『VERY』とは、揺るぎない生活基盤を持つ30代奥様が愛読する雑誌で、合言葉は「パンがなければブーランジェリーに買いに行けばいいじゃない?ベンツで」。ウソです。「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」でした。
そんな『VERY』で活躍されている滝沢眞規子さん、通称“タキマキ”さんですから、もちろんため息の出るような生活を送られていました。運転席が左側にあるデッカイ車でインタビューを受けるタキマキさん、渋谷区にある100坪のお家でバランスボール腹筋をするタキマキさん、もちろんリビングには暖炉!小坂明子か!
そうそう、コレです。これぞ憧れのVERYモデル。
日曜の夜にきらめくような異次元の暮らしを見せつけられて、サザエさんとはまたベクトルの違う憂鬱をたっぷりといただいたのです。
こんな素晴らしい、資本主義的に大正解の暮らしをされているタキマキさんですが、ナレーションではやたらめったら「等身大」というのを強調するのですよ。いったい誰基準の「等身大」なのか……。作り過ぎたカレーをタッパーに詰めながら、多くの奥様たちが首を傾げられたのではないでしょうか。
「美人じゃないし」「全然ふつうなので」「だからこそありのままを」と繰り返すタキマキさんが、だんだん不憫に思えてきました。どうしてそこまで庶民を背負わねばならないのかと。
だって、“ふつう”の主婦は週一ヘッドスパに行きませんし、マロノ・ブラニクやジミー・チュウが詰まった巨大シューズクローゼット持っていません。タキマキさんに「ふつう」と言われると、それまで自分をふつうだと思っていた人たちが一気に奈落に突き落とされたような無重力感覚に陥ってしまいます。まさにチンさむです。
さらにモデルになった理由も、「(自分としては)断りたかったけど、夫が『やってみたら?』と背中を押してくれて」と、大事なことを決めるのは常に夫の意志であることをアピール。
テレビクルーからの、「家庭と仕事とどっちが大切ですか?」という(アホみたいな)質問にも、タキマキさんは怒ることも躊躇することもなく、「家庭です。私にとって家庭が一番」と、とびきりの笑顔を見せていました。
筆者はこびりついたカレー鍋を洗いながら(タッパー詰めは完了)、考えてしまいました。
仕事ってなんでしょう、主婦ってなんでしょう、仕事と家庭は比較可能なものなのでしょうか。
モデル、女優、エッセイスト、ブロガー、タレント……「女」である自分を商品にする“オンナ商売”とは、憧れと嫉妬の間の細~い隙間を縫うように進むことを求められる仕事です。
タキマキさんが「ふつう」「等身大」を連呼する理由もそれ。たとえそのことを筆者のような底意地の悪い女に記事にされたとしても、正直に「エエ旦那捉まえましたわ~」とか「ブーランジェリーで(以下略)」とは言えない。すべては映像が物語ってるけど、言えない。
タキマキさんが「ふつう」を装わねばならないもうひとつの理由は、その肩書にあります。それは彼女がただのモデルではなく、「主婦モデル」だから。
オンナ領域の湿地帯、主婦エリアをおもなテリトリーにしているタキマキさんは、あくまでも「ふつうの主婦」であることを求められるのです。
オンナ商売よりもさらにニッチな「ママ○○」「主婦○○」さんたちは、その出発点からして矛盾を抱えています。おゼゼを稼ぐ「仕事」であるからには、そこには一種の契約が成立しており、契約には責任が伴うもの。しかし「家庭を大事にする」という冠がついたこれらの商売には、「いざとなったら仕事ほっぽりだしても家庭に戻る」というような“仕事上の契約違反”が「家庭を大事にしてるステキなママ」の存在証明になってしまうんですね。
ママタレントが、「仕事は週3回、決して二日連続しないようにって夫と話し合って決めてるんです」と鼻をふくらませるのも、ママアーティストが、「子どもの具合が悪かったら、ライブだって休んじゃいます!」とドヤるのも、“それくらい家庭を大事にしている私”が商売道具になっているからなんですよ。
この現象を「仕事をなめてるのか」と一方的に責めたてるのは簡単です。だけどそれを望んでいるのもまた社会、世間なんですよ。
これが、「たとえ子どもが具合悪くても、私は仕事に行きます」なんて言ったら今度は「どうして子どもなんか産んだんだ」「母親失格」と非難される。タキマキさんのドキュメンタリーを観て切ない気持ちになったのは、主婦の仕事を監視している“世間の目”というものに自覚的になろうとすれば、結局「仕事より家庭が大事です!」みたいなセリフを吐かねばならなくなるのだなぁと。
しかし多くの働くお母さん/お父さんたちは、「仕事」がなければ「家庭」もなく、多くの専業主婦/主夫たちに「家庭」の事情でドタキャン可の「仕事」なんてないわけで、色々罪深いな『ソロモン流』、と思いながら、もうそろそろ丁度いい量のカレーを作ろうと心に決めたサンデーナイトでありました。
「美人じゃないし」「全然ふつうなので」「だからこそありのままを」と繰り返すタキマキさんが、だんだん不憫に思えてきました。どうしてそこまで庶民を背負わねばならないのかと。
だって、“ふつう”の主婦は週一ヘッドスパに行きませんし、マロノ・ブラニクやジミー・チュウが詰まった巨大シューズクローゼット持っていません。タキマキさんに「ふつう」と言われると、それまで自分をふつうだと思っていた人たちが一気に奈落に突き落とされたような無重力感覚に陥ってしまいます。まさにチンさむです。
さらにモデルになった理由も、「(自分としては)断りたかったけど、夫が『やってみたら?』と背中を押してくれて」と、大事なことを決めるのは常に夫の意志であることをアピール。
テレビクルーからの、「家庭と仕事とどっちが大切ですか?」という(アホみたいな)質問にも、タキマキさんは怒ることも躊躇することもなく、「家庭です。私にとって家庭が一番」と、とびきりの笑顔を見せていました。
筆者はこびりついたカレー鍋を洗いながら(タッパー詰めは完了)、考えてしまいました。
仕事ってなんでしょう、主婦ってなんでしょう、仕事と家庭は比較可能なものなのでしょうか。
モデル、女優、エッセイスト、ブロガー、タレント……「女」である自分を商品にする“オンナ商売”とは、憧れと嫉妬の間の細~い隙間を縫うように進むことを求められる仕事です。
タキマキさんが「ふつう」「等身大」を連呼する理由もそれ。たとえそのことを筆者のような底意地の悪い女に記事にされたとしても、正直に「エエ旦那捉まえましたわ~」とか「ブーランジェリーで(以下略)」とは言えない。すべては映像が物語ってるけど、言えない。
タキマキさんが「ふつう」を装わねばならないもうひとつの理由は、その肩書にあります。それは彼女がただのモデルではなく、「主婦モデル」だから。
オンナ領域の湿地帯、主婦エリアをおもなテリトリーにしているタキマキさんは、あくまでも「ふつうの主婦」であることを求められるのです。
オンナ商売よりもさらにニッチな「ママ○○」「主婦○○」さんたちは、その出発点からして矛盾を抱えています。おゼゼを稼ぐ「仕事」であるからには、そこには一種の契約が成立しており、契約には責任が伴うもの。しかし「家庭を大事にする」という冠がついたこれらの商売には、「いざとなったら仕事ほっぽりだしても家庭に戻る」というような“仕事上の契約違反”が「家庭を大事にしてるステキなママ」の存在証明になってしまうんですね。
ママタレントが、「仕事は週3回、決して二日連続しないようにって夫と話し合って決めてるんです」と鼻をふくらませるのも、ママアーティストが、「子どもの具合が悪かったら、ライブだって休んじゃいます!」とドヤるのも、“それくらい家庭を大事にしている私”が商売道具になっているからなんですよ。
この現象を「仕事をなめてるのか」と一方的に責めたてるのは簡単です。だけどそれを望んでいるのもまた社会、世間なんですよ。
これが、「たとえ子どもが具合悪くても、私は仕事に行きます」なんて言ったら今度は「どうして子どもなんか産んだんだ」「母親失格」と非難される。タキマキさんのドキュメンタリーを観て切ない気持ちになったのは、主婦の仕事を監視している“世間の目”というものに自覚的になろうとすれば、結局「仕事より家庭が大事です!」みたいなセリフを吐かねばならなくなるのだなぁと。
しかし多くの働くお母さん/お父さんたちは、「仕事」がなければ「家庭」もなく、多くの専業主婦/主夫たちに「家庭」の事情でドタキャン可の「仕事」なんてないわけで、色々罪深いな『ソロモン流』、と思いながら、もうそろそろ丁度いい量のカレーを作ろうと心に決めたサンデーナイトでありました。
![]() | 西澤 千央(にしざわ ちひろ) フリーランスライター。一児(男児)の母であるが、実家が近いのをいいことに母親仕事は手抜き気味。「散歩の達人」(交通新聞社) 「QuickJapan」(太田出版)「サイゾーウーマン」などで執筆中。 |
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