息子の3ヵ月検診で出会ったお母さんが言った。

「毎日の『お世話』でもう寝不足で……」

ん? なぜ、この人は、自分のことなのに「お」をつけるんだ? しかも「世話」ってちょっとペットみたいだしなぁ……。

■「お世話」という言葉の非日常性


なんだか気になって、あらためて育児雑誌を見てみると、

「ここが知りたい、3ヵ月からの赤ちゃんのお世話!」
「シーン別お世話一覧」
「赤ちゃんのお世話グッズ」

なんと、「お世話」だらけではないか! そしてシチュエーションに関係なく、つねに「お」がついている。「お世話」は「世話」の丁寧/上品な言い方、というよりも、もはや「お世話」=「乳児を育てるための行為」の意。「オセワ」という独立した用語として使われているレベルだった。

おそらく、上品すぎる表現を意図的にずれた場面で使って、ちょっと「特別な」「お洒落な」「非日常的な」感じを演出したのが「オセワ」の始まりなんだろう。



今、育児は、こんな風に「オセワ」というラベルを貼られ、ちょっと特別で非日常的な側に位置付けられている気がする。

■育児は「選択」して進む道


私が幼い頃の母たちは、結婚→妊娠→出産→育児に、概ね迷いは無かった。「当然通る、当たり前で普通のこと」であり、育児は日常生活の延長にあった。

今は、結婚や妊娠・出産は、どちらかというと「選択肢のひとつ」。注意深く検討し、タイミングを考え選んで進む人生の道筋のひとつであって、誰もが通るルートという感覚は薄い。

「選択肢」と思っているから、仮にたまたま妊娠しただけだとしても、「自分は子どもを産み育てる道を選んだ」という感覚をどこかで持つ。それは日常の延長にはない。

この感覚は、結構な力強さで育児への意識に作用する。

■「母親」という業務の遂行


「自分が選び取った」子育ては、「仕事」と同等の存在になりやすい。

出産すると母性が出て本能的に育児ができる、なんてことはないと思う。
実際出産しても、そんなものはちっともにじみ出てこなくて、その代わり、巨大な「母親」という肩書きと社長級の責任が降ってきた気がした。

出産直前までやっていた仕事から、今度は「母親」に職種変更。その職責を全うしようと全力で努力し始める。

業務に必要な情報は熱心に集め、真面目に勉強する。

「公園に連れて行くのめんどくさいなあ」と思うのは、仕事をさぼろうとする駄目な自分。公園に毎日連れて行けば「自然を感じながら五感を育む機会を作る」という「価値ある業務」を遂行できていることになる。

「離乳食を"工夫"して作る」「"決まった時間"に寝かせる」……が毎日できないと、自分の目標達成率が十分でないことに、焦る。

何かにつけて「本当は○○すべきなんだろうけど……」と思うのは、自分が「評価に値する業務」をこなせていないという不完全感に襲われているわけで、「最近のお母さんはマニュアルがないと不安」とか、そういうことでは決してない。

こんな風に仕事の論理で挑むから、上司の評価や実績の明示もなく、あらゆることがぼんやりとしていて成果の見えない育児の現場は、とてつもなく張り合いが無い。

それがしんどさを生む。頑張りすぎる。考えすぎる。反省しすぎる。

■就職活動に似ている


こんな意識は、妊娠する前から働き、「子育てって大変そう」「保育園に入れるのは難しいらしい」と情報収集に熱心だ。そして、自分の人生設計のどこにそれを組み入れるか、入念にシミュレーションする。

この感じ、どこか就職活動に似ている。
勉強とサークルとバイトしか知らない大学生の身でやたら真面目に業界研究した。会社で働く自分の姿を繰り返しイメージする。慣れないスーツに身を包み緊張してスタートした会社員生活で経験するのは、結局予測してないことばかりだった。

妊娠も出産も育児も、いくら事前に情報収集したって、実際には予測や予定通りにいかないことだらけだけれど、今の育児は、こんな風に、身構えて、準備して、進むと決めて、えいっと乗り込む場所なんだろう。

■育児は「日常の側」にあっていい


子育ては特別な業務ではなく「生活の一部であり日常の延長」、と思えれば楽になる気持ちが、たくさんありそうだ。いちいち「仕事のできない駄目な自分」に焦る必要も無い。

家族がひとり増えただけ。増えたメンバーと一緒に生活をすればいいだけ。その新メンバーは小さすぎるから、できないことを代わりにやったり、知らないことを少しずつ教えたりは、する。

そんなふうにシンプルに思うのが意外と難しい。


―― 子どものおもちゃの宣伝が言う。

「ひろーいおうちでメルちゃんを『お世話』しちゃおう!」

あぁ、そういう、きらきらしたピンク色の「イベント」でもなくていい……。


育児は、もっとべたついて、ほこりっぽくて、汗くさくて、ちょっと汚くて、たまらなく凡庸で、単調で、ひどく頭にきて、でも時々限りなくうれしくてたまらない、そういうごく普通の抑揚のない生活の一部でしかなくていいはずなんだ。

「オセワ」というラベルをはがし、「母という肩書き」を捨てたら、きっとちょっとだけ何かが楽になる。

狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。