私事で恐縮だが、今年の夏に高熱を出し入院した。
その2週間前、子どもが発熱したもののすぐ解熱。
翌週、今度は夫が発熱。念のためプール熱の検査をするが異常なし。
そして今度は筆者のターン、である。
会社で悪寒がしたので、これはやばいと判断。帰り道に夜間開いている内科を見つけて飛び込んだ。病院で計ったときは38度5分。数字を見たら急に具合が悪くなった気がして、そこからどうやって帰ったのかはあまり覚えていない。
翌日。
解熱剤が切れると39度台になる、その繰り返し。夜、夫にSOSを出し、子どもを母に預け、救急外来に運んでもらった。
血液検査をする。インフルエンザを調べる。点滴をする。その最中、「おなかのCT撮ります」と呼ばれる。
前の週、たしかにおなかを壊していたので、盲腸も疑おうということで、点滴の管を一旦はずし、造影剤を入れ、じわじわビリビリ来る感覚に耐えつつ筒の中を出たり入ったりする。
「炎症反応が強いので禁食にして、今日はこのまま入院しましょう」

その2週間前、子どもが発熱したもののすぐ解熱。
翌週、今度は夫が発熱。念のためプール熱の検査をするが異常なし。
そして今度は筆者のターン、である。
会社で悪寒がしたので、これはやばいと判断。帰り道に夜間開いている内科を見つけて飛び込んだ。病院で計ったときは38度5分。数字を見たら急に具合が悪くなった気がして、そこからどうやって帰ったのかはあまり覚えていない。
翌日。
解熱剤が切れると39度台になる、その繰り返し。夜、夫にSOSを出し、子どもを母に預け、救急外来に運んでもらった。
血液検査をする。インフルエンザを調べる。点滴をする。その最中、「おなかのCT撮ります」と呼ばれる。
前の週、たしかにおなかを壊していたので、盲腸も疑おうということで、点滴の管を一旦はずし、造影剤を入れ、じわじわビリビリ来る感覚に耐えつつ筒の中を出たり入ったりする。
「炎症反応が強いので禁食にして、今日はこのまま入院しましょう」

その展開は考えてなかった。
子どもを産んでからの3年、大人だけの生活だった頃からは考えられないペースで何度も熱を出し、そのたびに大学病院クラスのところにお世話になったが、たいがいはすぐ帰れた。
……入院かあ。
帝王切開以来、人生で3年ぶり2度目の出来事。
一旦解熱剤で下がっていた熱も上がりだし、体がしんどくなってきたので、車椅子で運んでもらい、ERの個室に通された。
昼過ぎ、さほど重症でない私は一般病棟に案内された。6人部屋だったが私を入れて2人しかいなかった。
担当看護師さんがいろいろ説明をしてくれる。
点滴の針を刺し替えたあと、彼女は私に言った。
「せっかく入院なのでお子さんのお世話から離れて寂しいと思いますけど、しっかり体を休めてくださいね。」
なぜだか涙があふれた。
私は、疲れていたのだろうか。
知らず知らずのうちに蓄積された黒いモヤモヤに、気づかない振りをしていたのだろうか。
夕方には息子が会いに来てくれた。
そういえば、息子にとっては「生まれて初めて母親が帰宅しない日々」なのではないか。
「さみしい?」と訊くも、「ちゃみちくないよぉーだ」と、ふざけてデイルームのソファーにもたれかかったりしている。
元気すぎるので、私の点滴の管を引きちぎるのではないかとヒヤヒヤしたが、途中で熱が上がってきて起きているのがつらくなり、早々に失礼させてもらった。
すると、急に家のことが気になってきた。
育児面に関しては、“私がいなくても何とかなる”を目標にここまでやってきたので何の心配もない。掃除や洗濯は2日おきに母が来るのでそれは今までどおり。
気がかりなのは、保育園のしたくを夫が全部把握しているかということと、息子のコーディネート……。
CTの結果、盲腸付近に炎症のあとが見られたということで、腹部エコーを行った。炎症はあったがもう収まっていて、現在異常があるわけではない、とのこと。
点滴はすぐ漏れて、そのたびに針を差し替えたので、ついに使える血管がなくなってしまった。管でつながれていて自由に動けない。そのことを一番ストレスに感じていた。
出産のときは2日程度で点滴外れたのになあ。
あの時と違って傷が痛むわけではないけれど、だからこそ余計にイライラが募った。
「もうご飯も始まるから点滴、やめましょうか。」
待ちに待ったその一言だった。
まだ点滴につながれ、禁食の同部屋の方に申し訳ないと感じつつ、前の入院時に覚えたワザ、「お粥にのりたま」を実行するために、家族にふりかけの買い物を頼んだ。
当初は熱が下がれば3日ほどで退院といわれていたが、まんまとその晩熱を出し「もうしばらくだね」と医師から告げられる。金曜夜に入院したので、もう週が明けてしまっていた。
「会社どうしよう?」
実は半月ほど前に所属が変わって、勤務地が変更になったばかりであった。
それでいきなり長期欠勤か……。
なんともいえないバツの悪さを抱えたまま、関係各所に連絡を入れた。
わからない原因。
ウィルスだといけないので子どもの面会をキャンセル。
月曜になり増えていく相部屋の皆さん。
熱による頭痛に響く、おばさんたちのおしゃべり。
しんどい……。
入院のストレスをぶつける先がなく、インターネットに垂れ流していた。
平日になるとめっきり夫が病院に来られなくなったが、オンラインだったらすぐ連絡取れるし。日々の保育園の記録だってFacebookのグループににあげてもらってるし。
さみしくなんかないし……。
同じ部屋の、年がさほど変わらない女性。旦那さんが毎日足しげく通っている。家が近かったり時間が自由になる職業なのだろう。前提が違うことをわかっていても、ちょっと舌打ちしたくもなりますわな……。
調子のいいときに売店でメモと色鉛筆を買い、ひたすら絵を描いて過ごしてみたが、根っからのワーカホリックである。時間が埋まらない。
売店。ろくなマンガ売ってないな……。
今回は手術してないから、ギャグマンガ読んでもおなか痛くないな。
そこで、「『江古田ちゃん』の5巻以降を頼む」と夫にツイートしたその晩、3日ぶりに夫が病室にやってきた。
「またきてねー」と送り出すと
「もう来ないよ! あなたが帰ってきなさい!」
かわいい捨て台詞をはいて夫は帰宅した。
手渡された紙袋を開けてみると『臨死!!江古田ちゃん』の7巻だけが入っている。
……おい、6巻入ってねーじゃん!
入院が長くなるとふんで、金になりそうな制度を片っ端から調べた。
恥ずかしながら、共働きを前提に回している家計である。
生活費!住宅ローン!……夫婦の片方がつぶれたらどうなるかは目に見えている。
まず、入っている健保のサイトを調べる。
「限度額適応認定証」。
これは出産時の入院でも申請したことがあるので知っていた。退院時に窓口で払うお金が自己負担限度額までになる便利なものである。退院前に手続きがスタートしていることを証明できるものが手元にあったほうがいいので、夫に頼んで早めに申請した。
次に「傷病手当金」。4日以上休む場合に有効。標準報酬日額の3分の2に相当する金額が支払われる。これは退院後に会社と病院に書いてもらうようなのでひとまずそれをメモ。
最後に、生命保険。
入院特約がついているかを確認。これも決められた診断書フォーマットが必要なので、一式取り寄せよう。ちなみに診断書作成は3,000~5,000円程度かかるので、入院日数ともらえる金額と診断書作成料を照らし合わせて、お得なほうを選ぶといい。
都合9日入院したので、休んだ分の給料はペイできるだけのお金が返ってきたが、退院時の清算金額が限度額認定証の範囲を数千円下回る金額だったため適用されず、8万円くらい一気に支払うことになり、その分が2ヵ月ほど家計を直撃した。
貯金って大事だな……。お金のことを改めて考え直すきっかけになった。
結局原因がよくわからないまま、熱が上がらなくなったので退院となった。
一時は膠原病を疑われ血液検査をしたが、結果が出る前で、心配事を抱えながらの退院。なんとも後味が悪い。
ナースステーションの前で立ち止まり、美人看護師に一生懸命アピールする息子を引きずり、「さみしかった?」と訊くと、相変わらず「ちゃみちくないよぉー」とふざけた顔をするものの、そこから1ヵ月は保育園に送って行っても泣かれ、抱っこを始終要求する「抱っこマン」になり、おもらしが増えたりイヤイヤが激しくなったり、それなりに異変が見られた。
無理しない程度に、なるべくスキンシップを多めに取ろうとしているうちにそれらは解消されたが、
「いつも絶対に帰ってくるはずのママが、実は帰ってこないこともある。」
それは子どもにとって大変な恐怖だったのではないだろうか。
病気以外にも二人目の出産などで小さい子どもを置いたまま入院せざるを得ないケースもあるだろう。退院後、子どもに異変が見られても、それはがんばったことの反動なので、できる限り抱っこして褒めてあげるうちに、自分で乗り越えてまたひとつ強くなるのだろう。
だから、きっと大丈夫。
どうか読者の皆さまも無理せずお大事に。
そして、「親は体が資本」ということを改めて思った次第なのである。
子どもを産んでからの3年、大人だけの生活だった頃からは考えられないペースで何度も熱を出し、そのたびに大学病院クラスのところにお世話になったが、たいがいはすぐ帰れた。
……入院かあ。
帝王切開以来、人生で3年ぶり2度目の出来事。
一旦解熱剤で下がっていた熱も上がりだし、体がしんどくなってきたので、車椅子で運んでもらい、ERの個室に通された。
昼過ぎ、さほど重症でない私は一般病棟に案内された。6人部屋だったが私を入れて2人しかいなかった。
担当看護師さんがいろいろ説明をしてくれる。
点滴の針を刺し替えたあと、彼女は私に言った。
「せっかく入院なのでお子さんのお世話から離れて寂しいと思いますけど、しっかり体を休めてくださいね。」
なぜだか涙があふれた。
私は、疲れていたのだろうか。
知らず知らずのうちに蓄積された黒いモヤモヤに、気づかない振りをしていたのだろうか。
夕方には息子が会いに来てくれた。
そういえば、息子にとっては「生まれて初めて母親が帰宅しない日々」なのではないか。
「さみしい?」と訊くも、「ちゃみちくないよぉーだ」と、ふざけてデイルームのソファーにもたれかかったりしている。
元気すぎるので、私の点滴の管を引きちぎるのではないかとヒヤヒヤしたが、途中で熱が上がってきて起きているのがつらくなり、早々に失礼させてもらった。
すると、急に家のことが気になってきた。
育児面に関しては、“私がいなくても何とかなる”を目標にここまでやってきたので何の心配もない。掃除や洗濯は2日おきに母が来るのでそれは今までどおり。
気がかりなのは、保育園のしたくを夫が全部把握しているかということと、息子のコーディネート……。
■見えない退院
CTの結果、盲腸付近に炎症のあとが見られたということで、腹部エコーを行った。炎症はあったがもう収まっていて、現在異常があるわけではない、とのこと。
点滴はすぐ漏れて、そのたびに針を差し替えたので、ついに使える血管がなくなってしまった。管でつながれていて自由に動けない。そのことを一番ストレスに感じていた。
出産のときは2日程度で点滴外れたのになあ。
あの時と違って傷が痛むわけではないけれど、だからこそ余計にイライラが募った。
「もうご飯も始まるから点滴、やめましょうか。」
待ちに待ったその一言だった。
まだ点滴につながれ、禁食の同部屋の方に申し訳ないと感じつつ、前の入院時に覚えたワザ、「お粥にのりたま」を実行するために、家族にふりかけの買い物を頼んだ。
当初は熱が下がれば3日ほどで退院といわれていたが、まんまとその晩熱を出し「もうしばらくだね」と医師から告げられる。金曜夜に入院したので、もう週が明けてしまっていた。
「会社どうしよう?」
実は半月ほど前に所属が変わって、勤務地が変更になったばかりであった。
それでいきなり長期欠勤か……。
なんともいえないバツの悪さを抱えたまま、関係各所に連絡を入れた。
わからない原因。
ウィルスだといけないので子どもの面会をキャンセル。
月曜になり増えていく相部屋の皆さん。
熱による頭痛に響く、おばさんたちのおしゃべり。
しんどい……。
入院のストレスをぶつける先がなく、インターネットに垂れ流していた。
平日になるとめっきり夫が病院に来られなくなったが、オンラインだったらすぐ連絡取れるし。日々の保育園の記録だってFacebookのグループににあげてもらってるし。
さみしくなんかないし……。
同じ部屋の、年がさほど変わらない女性。旦那さんが毎日足しげく通っている。家が近かったり時間が自由になる職業なのだろう。前提が違うことをわかっていても、ちょっと舌打ちしたくもなりますわな……。
調子のいいときに売店でメモと色鉛筆を買い、ひたすら絵を描いて過ごしてみたが、根っからのワーカホリックである。時間が埋まらない。
売店。ろくなマンガ売ってないな……。
今回は手術してないから、ギャグマンガ読んでもおなか痛くないな。
そこで、「『江古田ちゃん』の5巻以降を頼む」と夫にツイートしたその晩、3日ぶりに夫が病室にやってきた。
「またきてねー」と送り出すと
「もう来ないよ! あなたが帰ってきなさい!」
かわいい捨て台詞をはいて夫は帰宅した。
手渡された紙袋を開けてみると『臨死!!江古田ちゃん』の7巻だけが入っている。
……おい、6巻入ってねーじゃん!
■お金になりそうな手続き
入院が長くなるとふんで、金になりそうな制度を片っ端から調べた。
恥ずかしながら、共働きを前提に回している家計である。
生活費!住宅ローン!……夫婦の片方がつぶれたらどうなるかは目に見えている。
まず、入っている健保のサイトを調べる。
「限度額適応認定証」。
これは出産時の入院でも申請したことがあるので知っていた。退院時に窓口で払うお金が自己負担限度額までになる便利なものである。退院前に手続きがスタートしていることを証明できるものが手元にあったほうがいいので、夫に頼んで早めに申請した。
次に「傷病手当金」。4日以上休む場合に有効。標準報酬日額の3分の2に相当する金額が支払われる。これは退院後に会社と病院に書いてもらうようなのでひとまずそれをメモ。
最後に、生命保険。
入院特約がついているかを確認。これも決められた診断書フォーマットが必要なので、一式取り寄せよう。ちなみに診断書作成は3,000~5,000円程度かかるので、入院日数ともらえる金額と診断書作成料を照らし合わせて、お得なほうを選ぶといい。
都合9日入院したので、休んだ分の給料はペイできるだけのお金が返ってきたが、退院時の清算金額が限度額認定証の範囲を数千円下回る金額だったため適用されず、8万円くらい一気に支払うことになり、その分が2ヵ月ほど家計を直撃した。
貯金って大事だな……。お金のことを改めて考え直すきっかけになった。
■退院、その後
結局原因がよくわからないまま、熱が上がらなくなったので退院となった。
一時は膠原病を疑われ血液検査をしたが、結果が出る前で、心配事を抱えながらの退院。なんとも後味が悪い。
ナースステーションの前で立ち止まり、美人看護師に一生懸命アピールする息子を引きずり、「さみしかった?」と訊くと、相変わらず「ちゃみちくないよぉー」とふざけた顔をするものの、そこから1ヵ月は保育園に送って行っても泣かれ、抱っこを始終要求する「抱っこマン」になり、おもらしが増えたりイヤイヤが激しくなったり、それなりに異変が見られた。
無理しない程度に、なるべくスキンシップを多めに取ろうとしているうちにそれらは解消されたが、
「いつも絶対に帰ってくるはずのママが、実は帰ってこないこともある。」
それは子どもにとって大変な恐怖だったのではないだろうか。
病気以外にも二人目の出産などで小さい子どもを置いたまま入院せざるを得ないケースもあるだろう。退院後、子どもに異変が見られても、それはがんばったことの反動なので、できる限り抱っこして褒めてあげるうちに、自分で乗り越えてまたひとつ強くなるのだろう。
だから、きっと大丈夫。
どうか読者の皆さまも無理せずお大事に。
そして、「親は体が資本」ということを改めて思った次第なのである。
![]() | ワシノ ミカ 1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在は日本テレビグループ・LIFE VIDEO株式会社のデジタルコンテンツ全般を担当。 |
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