「何がそんなに大変なの?」
幼児の子どもがいる男性の友人が、乳児の子育てでぐったりしていた私にきいた。

「ちょ、おま…」
子煩悩で乳児の子育てにも積極的に取り組んできたというイクメンの彼からきかれると思わなかった質問に、絶句した。彼の場合、子どもとの時間は「癒し」で「休息」。子育てを一日中できる立場を「毎日がサンデー」だと考えているようだった。

そのときは、夜泣きによる寝不足で思考回路が停止状態。
「大変だから大変なんだよ!」
と子どものような返事をして、終えてしまった。

―― 改めて、何がそんなに大変だったのか、振り返ってみたい。

筆者は会社員時代、一時期だが、深夜のタクシー帰りが月の半分を越え、昼夜問わず会社からトラブルの電話がかかってくる生活を送ったことがある。家は帰って寝るだけ。洗濯が間に合わず、1ヵ月分のパンストと下着のオーナーになってしまった。

ブラック企業ではなかったが、それなりに激務といえる就労状況だ。こんな忙しい経験をしたのだから、大抵のことはお茶の子さいさいだろう、そう思っていた。

でも、乳児の子育ては正直それよりつらかった……。

なぜつらかったのか、乳児の子育てを仕事にみたてて考えてみるとわかりやすい。

まずは、夜勤(夜泣き)。

乳児を育てる母親が一番欲しいもの。それは誰にも邪魔されずに熟睡することだ。
3時間おきに泣く我が子。まとまって寝てくれるまでの半年間、目覚めた時にいつなのかわからないほどだった。

かつては、仕事で夜間にトラブルの電話が週に2~3回かかってきた生活をおくり、周囲に大変がられた。しかし、その頻度の夜泣きの赤ちゃんであれば、比較的育てやすい部類に入るだろう。

泣き声の破壊力はすさまじい。我が子なのに、怪獣ならまだよいほうで、時には悪魔に思える。館内放送で数時間おきに赤子の泣き声が流れる会社があるとしたら、何人かは発狂するかもしれない。

忘れてはならないのは、産後の精神面だ。
ただでさえ産後はホルモンバランスの変化で情緒不安定になりやすい。極端な話、乳児の子育ては、出産で心身ともにダメージを受けた満身創痍の人間に、宇宙語を話す人間(=赤ちゃん)と長時間隔離し、熟睡させない仕事をさせるようなものである。

次に、体制だ。

どんなに単調な内容でも、24時間365日の業態の仕事があったとしたら、普通の企業はシフトを組む。それを一人でこなさせようとするのなら、ブラック企業といえるやり方だ。

しかしながら、たいていは子育てとなると一人体制だ。サポートという形で、夫や祖父母、親類の応援があるかもしれない。それはそれで大変ありがたいのだけど、あくまで「休憩」であって、「休暇」ではない。シフトを組まない限り、過酷な労働環境のままだ。

そして、最強にして最悪な状況に陥るときがある。

そう、子どもの風邪だ。

子どもの高熱はデスマーチの始まりだ。看病で徹夜はあたりまえ、食事、お風呂もままならない。人の営みがおくれない。

そしてなぜか、楽しみにしているイベントの前日に発生しやすい。
空気を読まないその風邪は、チーム(家族)の人間関係が良好な順に感染していき、そこには(起きられる人が)誰もいなくなるのである。


乳児の子育てを経験した人は、たとえ手を抜いたと謙遜する人でも、忍耐力は格段にアップしているはずだ。労働基準監督署がガサ入れしたら、ブラック企業認定するような就労状況を乗り越えてきたのだから。


ところで、子育てを仕事の形態に例えるとしたら、それは「プロジェクト」だ。
プロジェクトの定義は、「有期の業務」。いつかは終わる。終わってしまう。

前の職場で受講したタイムマネジメント系の研修で、忘れられない内容がある。

「あなたは大事な人と桜を後何回見られますか?」

という、文字と満開のきれいな桜が咲いているスライドを見せられた。
そして講師の方は、こんな話をした。
この研修を受講された50代の男性の方から連絡をもらいました。
「研修で、桜のスライドを見た後、ここ数年帰省せず会っていない母親のことを思い出しました。翌月、母親とお花見するために帰省したら、すごく喜んでくれたんです。元気な母親でしたので、また来年お花見の季節に帰省するよって、その時は約束して別れたのです。
だけど、母親は数ヵ月後、急病であっけなく亡くなってしまって……。この研修を受講しなかったら、母親とお花見できずにお別れしていたかもしれない。お礼を言いたいです。」

わが子と桜を一緒に見られる回数は、順調に考えても、10数回かもしれない。
思春期のときには、子どもから嫌がられるかもしれないし、社会人になったら、かつての自分がそうだったように、母親の存在を忘れて自分の生活に夢中になるだろう。

今というときは、子育ての終わりに向かっての、一緒に過ごせる大事な時間なのだ。


もうひとつ、忘れられないエピソードがある。

テレビ番組で、若くして子を亡くしてしまった母親にインタビューしていた。
彼女は哀しみをこう表現した。
「もっとたくさん、子どもの洋服を洗濯したかった」

もしわが子がこの世からいなくなったら……、子どもの夜泣きすらもっと聞きたくなるだろう。
それ以来、子どものたくさんの汚れ物を見たり、泣き声を聞くたび、「あぁ、生きてる生きてる」と思うことにしている。

1歳半を迎えたわが息子。乳児のときと比べて、厳しい冬の寒さを越え、時折温かい風が吹いてきたように楽になってきた。(イヤイヤ期の兆候はあるものの……)

今年はどこに花見に行こうか。子どもと過ごせる限りある機会を大事にしたい。

福井 万里福井 万里
大学卒業後、大手システムインテグレータでSEとして10年間勤務も、東日本大震災を機に、本当にやりたいこと(書くこと)を生きがいにと決意し退職。2012年に結婚&長男を出産するも2013年に離婚、シングルマザーに。ライターとして活動を開始。