保育園に通っている息子が、3月下旬に3歳児クラスに進級してから数週間経つ。
息子の通う園では、0歳~2歳児クラスが「乳児クラス」、3歳児以降が「幼児クラス」と呼ばれているが、「乳児」から「幼児」に上がると持ち物にいくつか変化があった。
●裸足から上履きへ
初日に上履きを履く息子を見た率直な感想が、
「ヒ、……ヒトになった!」
脳内には人類進化過程の図がイメージされた。
それまでの3年間、靴下を履かないことが是とされていたので、急に「靴下は脱がないで」「上履きを履いて」というのはなかなか理解できなかったらしく、すんなり玄関で上履きを履いてくれるようになったのは2週間以上経ってからのことである。
●連絡帳の廃止
3歳児クラス(=年少)になると連絡帳がなくなる園も多いようだが、息子のところもそのようで、4月からは連絡帳がなくなった。
3月31日の夜、1年分の連絡帳をまとめて表紙をつけてくれたものが先生から手渡された。過去3回の進級時にも同じように手渡されているのだが、ああ、これで最後なのかと思うと、解放されてほっとする反面、寂しさも訪れた。
今回は、この“連絡帳”について書いていきたいと思う。

3年前の記憶を呼び起こす。
震災直後のドタバタの中、当日の朝知らされ慌てて飛んでいった入園説明会で、「登園初日の朝、記入してもってきてください」と1枚のわら半紙が渡された。
これが連絡帳か。ノートみたいなものを想像していたけど違うのだな。
体調記入欄には体温とその日の体調を。タイムラインになっている箇所には睡眠時間と排泄の様子、食事の時間を記入。食事欄にはミルクの量を記入し、紙の左半分が保護者欄。
(※1歳児以降になるとタイムライン部分がなくなる園も多いかと思われる)
数字など事務的な部分は、これまでも夫や母との引継ぎ用にノートをつけていたからだいたいわかったのだが、さて、保護者欄である。これはどうしたものか。
今「保育園 連絡帳 書き方」などで検索すると、たくさんのQ&Aが出てくるのだが、調べるという余裕と発想がなかったのであろう、とりあえず箇条書き・体言止めで2行ほど、前日の様子を書いてもっていった。
通園初日から、筆者はしっかり働いて19時半過ぎに帰宅。お迎えに行ってくれた母から、名前の書かれたバインダーに挟まれた連絡帳を受け取ると……、
ぎっしり書かれていた。
私の書いた箇条書き2行に対して、先生はきれいな字で顔文字も織り交ぜ、“ですます調”で、スペースを埋め尽くすほど書かれていた。
―― ああ、これは、テンション間違えたかもしれない。
私はそう思ったのだが、かといって参考にしようと、よそのご家庭の連絡帳を「ちょっと見せて」というわけにもいかない。
翌日は先生の文体を参考に、同じ熱量で連絡帳を書いたのだが、何しろ0歳児である。私が迎えにいかれない週の半分は、帰ったらすでに寝ていることのほうが多いのだ。連絡帳のネタが尽きるのは時間の問題だった。
そんな折、知り合いから保育士向けの保育雑誌というものが世の中にあり、それは一般人でもAmazonで簡単に買えるということを聞く。
ちょうど「連絡帳書き方レッスン」のような特集の号があり、1冊買ってみることにした。
(※雑誌以外にも保育者向けの連絡帳書き方本というのはいくつか存在しているようだ)
「こんな保護者に対してはこのように返答しましょう」とQ&A方式の特集だったのだが、保護者側の記入例も参考になるし、先生が「悪いことは書かず、いいことを書くようにする」など、どんなところに気をつけて連絡帳に書く内容を決めているかもわかったので、雑誌としては高いほうの値段であったが大変役に立った。そして、「連絡帳の行数が短い保護者への対応」という項目を見て反省したのであった……。
ただ、保育雑誌を保護者が見るということは、“先生のアンチョコを見てしまう”ことにもなるので、「あ、これ、テンプレ(=テンプレート)だな?」と気づく日もあったりはするのだが、そういうこちらだってテンプレ見ながら書いているのだから、お互いさまなのである。「参考資料もなしに仕事ができるか!」なのだ。
(そうでない職業の方ももちろんいらっしゃるとは思いますが)
「そうか、ショートショートを書く気で、些細なことでもいいから子どもを観察すればいいのか」そのように考え始めてからはだいぶ楽しくなったのだが、ある日問題が起こった。
私が入院してしまったのである。
9日ほどの入院ではあったが、営業日としては7日程度だっただろうか。
その間、夫が私の代わりに保育園まわりのことを担当したので、その中には当然のように連絡帳の記入という作業も含まれた。
残念ながら、夫は文章がニガテである。
親族行事のあいさつ文作成に四苦八苦、SNSもアカウントを持ってはいるが、自分から発信するのは月に1回あったらいいほうだ。メールも極力簡略化するので、意図が伝わらずに険悪になることもしばしばある。文字で何かを伝える行為に関しては明らかに得手不得手があるな、というのを結婚して私は初めて知るのだ。
話はそれたが、無事に退院後、7日分の連絡帳を見せてもらった。
判別しづらい、行書のような字が躍っていた。そして、書かれていたのはたったの2行……。
先生はもしかしたらちゃんと読めていなかったのかもしれない。完全に連絡帳の右と左が一方通行の試合を続けていたのだ。
しかし、後半になるにつれて変化が見える。
2行が3行に増えていたのだ。
思わず私は本人に告げた。
「がんばったね、1行増えてる。」
それ以降、週の半分ほどは夫にも連絡帳の記入をやんわりお願いするようになったが、そもそも夫は帰宅が遅いこともあるので不利なのだ。そこで、お迎えに行ってくれた母からヒアリングした内容を伝え、ネタの提供はできるだけするようにしてみた。
その結果、5行程度まで増えた。
大進歩である。
男性のプライドを傷つけずに誘導して伸ばすという技、男子の母なので気にはなっているのだが、まさか夫で練習することになるとは思わなかった。怪我の功名ならぬ、「入院の功名」なのであった。
しかしある日、夫が書いた連絡帳の返事に、「お母様、それは大変でしたね!」と書かれていた!
……先生は、夫婦のどちらが書いているかについて、我々が思うほど気にはしていないのかもしれない。
さて、進級して連絡帳がなくなった後、それに替わるのはクラスのホワイトボードに書かれた今日の出来事と、事前に張り出される保育週案、四半期に一度配られる、通知表のようなもの。
連絡帳をなくす理由のひとつとしては、「帰り道にお子さんと今日あったことを話しながら帰ってみてくださいね」という、コミュニケーションづくりの一貫があるのだという。
かなりおしゃべりなほうである息子だ。しかも細かいことをよく覚えている。
「きのう、じゅーちゅ かってくれるって いったでちょ?」
息子よ、それは昨日ではない、先週の土曜日だ。
ある日の帰り道、さっそく期待をしながら私は息子に問いかける。
「今日は保育園で何して遊びましたか?」
息子は眉をひそめ、大げさに考えるそぶりをしながら答える。
「えーっとねー、あのねー、……ぼーりゅ!」
「ボールで遊んだの。ボールはどこで遊んだの?」
「あのねー、おちょと(お外)!」
……待て、今日は雨だ。
「ボールはどうやって遊んだの?」
「えーっとねー、あのねー、ぽん!ってやってー、ぽーん!ってやったのー」
全部擬音語である。お前は長嶋さんか!
その後数日にわたり聞き取り調査を行うも、一緒に帰るシチュエーションが週に二日であるため、なかなか直接聞くことができない。帰宅後にヒアリングするともう別の楽しかったことが上書き保存されていて、保育園での息子の様子がまったく伺えないのだ。
子どもって、シングルタスクな上にメモリ容量小さいんだな……。
ならば、ならばである。朝、担任にそれとなく聞けばいいではないか!と登園すると、担任の姿がない。
それまでは4人いた担任の人数は幼児クラスから数が半分になるため、朝の時間帯は非常勤の先生が入っていることも多く、その彼らは基本的に前日の様子を知らない。
困ったな……。
そこにふと、毎朝園に着くと、連絡帳の中身を私に読み上げてもらって、何を書かれていたか知りたがっていた息子の姿を思い出した。
ここはひとつ、息子に“連絡帳役”をお願いしてみたらどうだろう。
「うん、いーよー」
ポップに返答した息子であったが、毎日のように保育園であったことを尋ねると、時間軸の概念がまだはっきりしない息子からは、昨日やおとといの出来事など、私の知りたい「今日の出来事」ではないレスポンスが返ってくる。
“連絡帳”としての精度はまだ20%というところであるが、卒園までに合格ラインに近づくことができるのだろうか。それはきっと親子のチームワークにかかっているのだろう。
息子の通う園では、0歳~2歳児クラスが「乳児クラス」、3歳児以降が「幼児クラス」と呼ばれているが、「乳児」から「幼児」に上がると持ち物にいくつか変化があった。
●裸足から上履きへ
初日に上履きを履く息子を見た率直な感想が、
「ヒ、……ヒトになった!」
脳内には人類進化過程の図がイメージされた。
それまでの3年間、靴下を履かないことが是とされていたので、急に「靴下は脱がないで」「上履きを履いて」というのはなかなか理解できなかったらしく、すんなり玄関で上履きを履いてくれるようになったのは2週間以上経ってからのことである。
●連絡帳の廃止
3歳児クラス(=年少)になると連絡帳がなくなる園も多いようだが、息子のところもそのようで、4月からは連絡帳がなくなった。
3月31日の夜、1年分の連絡帳をまとめて表紙をつけてくれたものが先生から手渡された。過去3回の進級時にも同じように手渡されているのだが、ああ、これで最後なのかと思うと、解放されてほっとする反面、寂しさも訪れた。
今回は、この“連絡帳”について書いていきたいと思う。

■はじめての連絡帳
3年前の記憶を呼び起こす。
震災直後のドタバタの中、当日の朝知らされ慌てて飛んでいった入園説明会で、「登園初日の朝、記入してもってきてください」と1枚のわら半紙が渡された。
これが連絡帳か。ノートみたいなものを想像していたけど違うのだな。
体調記入欄には体温とその日の体調を。タイムラインになっている箇所には睡眠時間と排泄の様子、食事の時間を記入。食事欄にはミルクの量を記入し、紙の左半分が保護者欄。
(※1歳児以降になるとタイムライン部分がなくなる園も多いかと思われる)
数字など事務的な部分は、これまでも夫や母との引継ぎ用にノートをつけていたからだいたいわかったのだが、さて、保護者欄である。これはどうしたものか。
今「保育園 連絡帳 書き方」などで検索すると、たくさんのQ&Aが出てくるのだが、調べるという余裕と発想がなかったのであろう、とりあえず箇条書き・体言止めで2行ほど、前日の様子を書いてもっていった。
通園初日から、筆者はしっかり働いて19時半過ぎに帰宅。お迎えに行ってくれた母から、名前の書かれたバインダーに挟まれた連絡帳を受け取ると……、
ぎっしり書かれていた。
私の書いた箇条書き2行に対して、先生はきれいな字で顔文字も織り交ぜ、“ですます調”で、スペースを埋め尽くすほど書かれていた。
―― ああ、これは、テンション間違えたかもしれない。
私はそう思ったのだが、かといって参考にしようと、よそのご家庭の連絡帳を「ちょっと見せて」というわけにもいかない。
翌日は先生の文体を参考に、同じ熱量で連絡帳を書いたのだが、何しろ0歳児である。私が迎えにいかれない週の半分は、帰ったらすでに寝ていることのほうが多いのだ。連絡帳のネタが尽きるのは時間の問題だった。
■アンチョコ見たっていいじゃない
そんな折、知り合いから保育士向けの保育雑誌というものが世の中にあり、それは一般人でもAmazonで簡単に買えるということを聞く。
ちょうど「連絡帳書き方レッスン」のような特集の号があり、1冊買ってみることにした。
(※雑誌以外にも保育者向けの連絡帳書き方本というのはいくつか存在しているようだ)
「こんな保護者に対してはこのように返答しましょう」とQ&A方式の特集だったのだが、保護者側の記入例も参考になるし、先生が「悪いことは書かず、いいことを書くようにする」など、どんなところに気をつけて連絡帳に書く内容を決めているかもわかったので、雑誌としては高いほうの値段であったが大変役に立った。そして、「連絡帳の行数が短い保護者への対応」という項目を見て反省したのであった……。
ただ、保育雑誌を保護者が見るということは、“先生のアンチョコを見てしまう”ことにもなるので、「あ、これ、テンプレ(=テンプレート)だな?」と気づく日もあったりはするのだが、そういうこちらだってテンプレ見ながら書いているのだから、お互いさまなのである。「参考資料もなしに仕事ができるか!」なのだ。
(そうでない職業の方ももちろんいらっしゃるとは思いますが)
「そうか、ショートショートを書く気で、些細なことでもいいから子どもを観察すればいいのか」そのように考え始めてからはだいぶ楽しくなったのだが、ある日問題が起こった。
私が入院してしまったのである。
■文章ニガテさんのための連絡帳講座?
9日ほどの入院ではあったが、営業日としては7日程度だっただろうか。
その間、夫が私の代わりに保育園まわりのことを担当したので、その中には当然のように連絡帳の記入という作業も含まれた。
残念ながら、夫は文章がニガテである。
親族行事のあいさつ文作成に四苦八苦、SNSもアカウントを持ってはいるが、自分から発信するのは月に1回あったらいいほうだ。メールも極力簡略化するので、意図が伝わらずに険悪になることもしばしばある。文字で何かを伝える行為に関しては明らかに得手不得手があるな、というのを結婚して私は初めて知るのだ。
話はそれたが、無事に退院後、7日分の連絡帳を見せてもらった。
判別しづらい、行書のような字が躍っていた。そして、書かれていたのはたったの2行……。
先生はもしかしたらちゃんと読めていなかったのかもしれない。完全に連絡帳の右と左が一方通行の試合を続けていたのだ。
しかし、後半になるにつれて変化が見える。
2行が3行に増えていたのだ。
思わず私は本人に告げた。
「がんばったね、1行増えてる。」
それ以降、週の半分ほどは夫にも連絡帳の記入をやんわりお願いするようになったが、そもそも夫は帰宅が遅いこともあるので不利なのだ。そこで、お迎えに行ってくれた母からヒアリングした内容を伝え、ネタの提供はできるだけするようにしてみた。
その結果、5行程度まで増えた。
大進歩である。
男性のプライドを傷つけずに誘導して伸ばすという技、男子の母なので気にはなっているのだが、まさか夫で練習することになるとは思わなかった。怪我の功名ならぬ、「入院の功名」なのであった。
しかしある日、夫が書いた連絡帳の返事に、「お母様、それは大変でしたね!」と書かれていた!
……先生は、夫婦のどちらが書いているかについて、我々が思うほど気にはしていないのかもしれない。
■さようなら、ぼくたちの連絡帳
さて、進級して連絡帳がなくなった後、それに替わるのはクラスのホワイトボードに書かれた今日の出来事と、事前に張り出される保育週案、四半期に一度配られる、通知表のようなもの。
連絡帳をなくす理由のひとつとしては、「帰り道にお子さんと今日あったことを話しながら帰ってみてくださいね」という、コミュニケーションづくりの一貫があるのだという。
かなりおしゃべりなほうである息子だ。しかも細かいことをよく覚えている。
「きのう、じゅーちゅ かってくれるって いったでちょ?」
息子よ、それは昨日ではない、先週の土曜日だ。
ある日の帰り道、さっそく期待をしながら私は息子に問いかける。
「今日は保育園で何して遊びましたか?」
息子は眉をひそめ、大げさに考えるそぶりをしながら答える。
「えーっとねー、あのねー、……ぼーりゅ!」
「ボールで遊んだの。ボールはどこで遊んだの?」
「あのねー、おちょと(お外)!」
……待て、今日は雨だ。
「ボールはどうやって遊んだの?」
「えーっとねー、あのねー、ぽん!ってやってー、ぽーん!ってやったのー」
全部擬音語である。お前は長嶋さんか!
その後数日にわたり聞き取り調査を行うも、一緒に帰るシチュエーションが週に二日であるため、なかなか直接聞くことができない。帰宅後にヒアリングするともう別の楽しかったことが上書き保存されていて、保育園での息子の様子がまったく伺えないのだ。
子どもって、シングルタスクな上にメモリ容量小さいんだな……。
ならば、ならばである。朝、担任にそれとなく聞けばいいではないか!と登園すると、担任の姿がない。
それまでは4人いた担任の人数は幼児クラスから数が半分になるため、朝の時間帯は非常勤の先生が入っていることも多く、その彼らは基本的に前日の様子を知らない。
困ったな……。
そこにふと、毎朝園に着くと、連絡帳の中身を私に読み上げてもらって、何を書かれていたか知りたがっていた息子の姿を思い出した。
ここはひとつ、息子に“連絡帳役”をお願いしてみたらどうだろう。
「うん、いーよー」
ポップに返答した息子であったが、毎日のように保育園であったことを尋ねると、時間軸の概念がまだはっきりしない息子からは、昨日やおとといの出来事など、私の知りたい「今日の出来事」ではないレスポンスが返ってくる。
“連絡帳”としての精度はまだ20%というところであるが、卒園までに合格ラインに近づくことができるのだろうか。それはきっと親子のチームワークにかかっているのだろう。
![]() | ワシノ ミカ 1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。 |
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