日本でも「クラウドソーシング」というものがスタートして数年経つ。
英語での本来の意味とはやや異なるようだが、現在では「WEBを使って不特定多数向けに案件を提示し、応募者の中からクライアントが決めた人に発注する新しい雇用形式」として使われている単語だ。
そんなクラウドソーシング界隈がにぎやかな昨今、このようなブログが話題になった。

プチ起業、ママ起業が、非正規雇用の問題とつながっているということ
http://ameblo.jp/juno-career/entry-11947092241.html

キャリアコンサルタントの立場としては思い切ったエントリーと思われるが、非常に的確な指摘であると感心したので、この件を少し掘り下げてみたい。



■在宅勤務、その理想と現実


上記のブログが書かれたのとほぼ同時期に、「クラウドママ」という単語をインターネット上で見ることとなった。

「クラウドママ」を普及させて、働く女性が子育てをしやすい国にしよう!
http://sharescafe.net/41752066-20141106.html

記事に書かれていることはごもっともなのである。
そりゃ早く帰れるに越したことはないし、頻繁に熱を出す月齢の子どもがいるうちは勤務体系が自由であれば……と思ったことは幾度となくある。

しかし、実際に乳児がいる状態で在宅フリーランスをしていた経験から言うと、これは“理想の世界”である。


4年前のこと。
出産を機に派遣契約の更新を打ち切られたため、産後すぐにWEB制作の仕事を受け、ベビーカーを押してハローワークに通いながら、失業保険でつなぎ、労働対価を申告しつつ、就職活動に励む日々を続けていた。

在宅フリーをやっていた当時、息子は2~4ヵ月。
寝返り前の時期だったので、キーボードを触られるので作業が進まない……ということはなかったが、定期的に泣くし、まとまった時間が取れるのはせいぜい2時間単位。

バウンサーに座らせていたところ派手に横漏れをおこし、洗濯に終われて中断、ということは本当によくあったし、イライラして、赤子相手に大人げなくキレたことだって1度や2度ではない。

最終的に、夜中しかまとまった時間が取れなくなったので、睡眠時間は極端に減り、昼間は子どもの睡眠とあわせて寝るようになり、細切れ睡眠で蓄えた残り少ない体力を全部深夜の仕事に注いだ。

会社にいたときと作業量や作業内容は同じはずなのに、なぜかフリーランス相手の単価というのは恐ろしく安い。乳児がいる、ガッツリ働けない、という負い目もあって言い値で動いていた節も否めない。ときどき知人がくれた比較的いい案件には何度か生活を助けられた。

ああ、なんだかんだいって会社に守られていたのだなあと思い、まだ痛い腹の傷、本調子ではない体調を抱え、数ヵ月後に迫っている復帰期限を考えては気ばかりあせるのだった。

そして4月、派遣での就業が決定するとともに、私の在宅フリーランス生活はいったん幕を閉じる。

■クラウドソーシング時代になって


その後、再びフリーランスになったタイミングでいくつかのクラウドソーシングサービスを利用した経験がある。会員になって初めて詳細が見られる案件も少なくないのだが、驚いたのはその単価である。

……「データ入力、5円」?

子どもが小学生でもう手がかからない状況ならば、黙々と大量に入力する作業も可能かもしれない。しかし、入力単価のほかに自分の人件費というのはどこから捻出したらいいのだ、このお値段。

たとえば3時間がんばってどのくらいできるだろうか、仮に100件としよう。
1件5円、100件500円。
1時間あたり約166円。

―― あなたの時給、これでいいのでしょうか?

たまに単価の高い案件があり、応募してみると企画自体がバラされることも多々あった。もしかしたらこれが俗にいう「釣り案件」だったのかもしれない。しかし、それを確認するすべもないのだ。


最近ではどんなオモシロ案件があるのかのぞくのが楽しみになっているのだが、先日見たものに、「折り紙の手裏剣作成」というのがあり、思わず「これ4歳児でも折れるよ!」と笑ってしまったのだが、そこでふと三十数年前の記憶がよみがえった。

幼稚園のころ、祖母と母と私、茶の間に女三人が座り、ひたすら小さな封筒の糊付けをしていたことがあった。ひとつ5銭、と母が言っていたような記憶がある。

ちょっと気が遠くなりそうな話ではないか。
でも、労働対価のない家事に比べたらそれでもいいやと思ったのだろうか。

……そう、女性の仕事には労働コストとしてカウントされない謎のジャンルが古くから存在する。

炊事、掃除、育児、会社のお茶くみ、本来男性が自分で行うべき雑務。外注したら結構な金額になるのに、「いいよ、うちの女の子にやらせれば」なんて声もちょっと前まではよく聞かれた。

『おしん』のような時代背景であればそれも致し方ないと思うかもしれないが、今は何年だ? 何世紀の話をしているというのだ?

では、なぜ今もそのような風潮がなくならないのだろうか。
冒頭で紹介したブログの著者は、“無知が「搾取の構造」を増幅させることに加担しているから”と表現した。

■自分の価値を見極めよう


在宅主婦(※あえて『専業主婦』ではなくこの言い方をする)のなかにも、“やむを得ず”の場合と“外で働く必要がないから”のふたつがあるのではないかと思う。
問題なのは後者の場合だ。

・夫の稼ぎで食っていける
・スキルはある
・暇もある
・起業とかかっこいいからやってみようかしら
・お金なんかはちょっとでいいのだ

「もう、有閑マダムはクラウドソーシングではなくてフリマにでも出して値切られてください!」と申し上げたい。大迷惑である。在宅で働くしか選択肢のない方に申し訳ない。


では“無知”とは何かの話をしよう。

かつて筆者はブームに乗って、就職をせずにインディーズブランドだけで生活していたことがある。厳密に言えば、収入は年収100万ちょっとにしかならず、親からみたらほぼニートだった。20歳のころである。

勢いで都心部にマンションを借り、そこに仲間3人でアトリエを作った。
商品販売のほかにタレントの衣装製作も行っていたので大変忙しかったが、衣装はタイアップ扱い(=無料)、店舗での販売は委託だったので4割抜かれた。

算数が苦手でコストを計算できなかったので、50万を売り上げた月でも、どんぶり勘定でメンバーに賃金を支払い、家賃と光熱費を納めたら、自分の懐には一銭も残らなかった。

名前を売るための取材やテレビ出演などで作業時間がとられることもあり、コストパフォーマンスは大変に悪いものだった。そんな“テキトー社長”に嫌気がさしたメンバーがどんどんやめてひとりになったころ、ついに経営が破綻する。

売り上げは委託先に持ち逃げされ、訴訟を起こすも相手が逃亡して不戦勝、裁判に勝ってもお金は戻らず、費用もこちらの負担。家賃も払えなくなり、事業を小さくして実家に避難。その後、看板を下げないまま就職をして今に至る……。

というのが筆者の青春物語なのである。

「好きを仕事にしよう!」という見出しで就職情報誌の巻頭カラーに載った人物が後にその雑誌で職を探すことになろうとは……。

企業での勤務をいくつか経験し、苦手なお金と向き合い、妻としてはぎりぎりの家計をなんとかするために数字とにらめっこの今ならわかる。これは浅はかな“経営ごっこ”であると。

まず、自分の労働に関して値段をつけるという意識がない。そしてコストを計算していない。売り上げを出すために何が必要かをきちんと知っておく必要があるだろう。

生きていくためのお金の知識は社会に出る前に身につけておくべきだったと心から思う。結果として、若いときにお金で痛い目にあってよかったと今は思うのだ。

無知というのは罪である。

■産後の働き方を模索する


幾度かのフリーランスを経て、現在は非正規雇用サラリーマン生活をしている筆者であるが、出産前は夫より年収が多かった時期がある。

産後、雇用形態も同じで似たような仕事に就いたにもかかわらず、年収は半分になっている。子どもがいるせいなのかとしばらく落ち込む日々だったのだが、夫は私にこう言った。

「何日も家に帰れなくてストレスで体壊したのと引き換えにもらってたお金でしょ? 年齢も当時と違うし、体力もなくなってる。今はもう徹夜できなくて寝ちゃってるでしょ? それでも同じ働き方できるの?」

ぐうの音も出ない正論だ。
しかし、ニートで残高がマイナスのところから10年かけて這い上がっていったという自負もある。産後のこの状況に「私」というものをすべて奪われた気分になったが、自分の体はひとつしかないし時間も有限だ。すると、子どもの優先順位が高くなるのは必然で、自分のことがどうしても今は後回しになってしまうのだ。


政局がざわつくちょっと前まで、ニュースでは「女性活用」や「女性活躍」といった言葉が踊っていた。“すべての女性が輝く社会”といわれても、このどうしようもなくどんよりした空気の中、我々は何をどう輝けばいいというのだろう。

しかし、このままその政策も自然消滅してしまうのだろうか。
輝く・輝かないはどうだっていい。子を持つ労働者が金銭的に搾取されずに第一線で元通りに働けるすべはないものか。

それをするには、待機児童問題、セクハラ・マタハラ問題、非正規雇用問題など、お偉いさんにとっては頭の痛い、目を背けたい問題が山積しているのだろう。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。