これだけ共稼ぎ夫婦が増えているのに、世間を見渡すと、家事育児の負担はまだまだ妻ばかりに偏っているようです。
「なぜ均等化しない? おかしいじゃねぇか?」
憤りながらも、妻たちはなかなか家事育児を手放そうとしません。
「ダンナが家事育児をやらない」と文句を言っている横から、「ダンナにはムリだから」と理由をつけて自分でやってしまう。これは、なぜなのか?
大きな原因のひとつは、「稼ぎの差」ではないでしょうか。
「ダンナのほうがたくさん稼いでいるから、わたしが家事育児を多くやらないと」と思っているお母さん。「オレのほうが断然稼いでるんだから、おまえ(妻)が家事育児をやれよ」と思っているお父さん。多いですよね。

「なぜ均等化しない? おかしいじゃねぇか?」
憤りながらも、妻たちはなかなか家事育児を手放そうとしません。
「ダンナが家事育児をやらない」と文句を言っている横から、「ダンナにはムリだから」と理由をつけて自分でやってしまう。これは、なぜなのか?
大きな原因のひとつは、「稼ぎの差」ではないでしょうか。
「ダンナのほうがたくさん稼いでいるから、わたしが家事育児を多くやらないと」と思っているお母さん。「オレのほうが断然稼いでるんだから、おまえ(妻)が家事育児をやれよ」と思っているお父さん。多いですよね。

じつは筆者も、以前結婚していたころ、そう思っていました。
筆者はフリーランスで仕事をしており、先方に比べて家にいる時間が長かったせいもありますが、それだけではなく、やはり先方のほうが稼いでいたので、その分「家事育児はわたしがやらねば」と思っていたところが少なからずあったのです。
でもどこか納得がいかないものだから、よくぶりぶり怒りながら家事育児をやっていました。
でもしかし、そもそもの話。なんでわたしは稼げなかったのでしょうか?
最近ふと考えて、気付きました。
―― 家事育児をたくさんしていたからだ。
鶏と卵です。
「稼げなかったから家事育児をたくさんしていた」んですが、じつは「家事育児をたくさんしていたから稼げなかった」面もある。両方、いえると思うのです。
後者の「家事育児をたくさんしていたから稼げなかった」というのは、個人の問題というより、社会構造の問題です。
これまで日本の社会や企業は、「男は長時間労働すること」&「女は子どもが生まれたら仕事をやめて家事育児をたくさんすること」というセットを前提にしてまわってきました。
そのため世の中には、おもに男向けの「長時間拘束されて稼ぐ仕事」か、おもに女向けの「短時間で稼ぎがいまいちの仕事」の2種類しかなかった。「そこそこの拘束時間で効率よく稼げる仕事」はきわめて少なかった。
ふたりで稼ぐなら夫婦のどちらかが「長時間拘束されて稼ぐ仕事」をあきらめることが大半でしょう。もしふたりでそれを選んで子育てできるなら、よほどパワーのある夫婦か、条件に恵まれた夫婦に限られてくると思います。
つまり、妻(主夫の場合もある)が稼げていないのは、これまでの日本の社会がそういう仕組みだったからであり、本人の努力や能力とは別の問題だということ。
そう考えたら、稼ぎの多い少ないに応じた家事育児の分担など理不尽です。一見理にかなって見えますが、実際は夫婦間のアンバランスを助長するだけじゃないでしょうか。
それぞれの稼ぎとは関係なく、家事育児の得手不得手とか、生まれ持った体力とか、可処分時間などに応じて負担を分かち合うほうが理にかなう。いまは、そう思います。
さて、筆者は以前、当サイトでこんな記事を書きました。
「なぜ母親なら“くだらない集まり”に出られるのか」
http://mamapicks.jp/archives/52175613.html
「父親がPTAに参加するのには賛成」と考えつつ、「実際はムリ」と言う母親が多いのはなぜか?という問題を考えた内容です。
このとき筆者は、推測できる理由のひとつとして「父親をPTA(家事育児)に参加させると、妻が“稼ぎ”を引き受けなければならなくなるのを、恐れているからでは?」と書きました。しかし、書いた本人(筆者)も、どこか釈然とせず。
よくよく考えた末、この推測に一点補足したいのは、「この“恐れ”自体が、じつは不当なものだったんじゃないか」ということです。
「稼ぎ」と「家事育児の負担」はトレードオフの関係ではないはず。だからPTAだろうとなんだろうと、遠慮なく負担を分かち合っていいんじゃないでしょうか。でないと、いつになっても “稼げる仕事”にだってたどりつけません。
これまでの状況を変えていくためには、じつは女のほうももうちょっと意識を変えていくべきだと思うのです。自分も含め。
筆者はフリーランスで仕事をしており、先方に比べて家にいる時間が長かったせいもありますが、それだけではなく、やはり先方のほうが稼いでいたので、その分「家事育児はわたしがやらねば」と思っていたところが少なからずあったのです。
でもどこか納得がいかないものだから、よくぶりぶり怒りながら家事育児をやっていました。
■努力や能力不足のせいで稼げないわけじゃない
でもしかし、そもそもの話。なんでわたしは稼げなかったのでしょうか?
最近ふと考えて、気付きました。
―― 家事育児をたくさんしていたからだ。
鶏と卵です。
「稼げなかったから家事育児をたくさんしていた」んですが、じつは「家事育児をたくさんしていたから稼げなかった」面もある。両方、いえると思うのです。
後者の「家事育児をたくさんしていたから稼げなかった」というのは、個人の問題というより、社会構造の問題です。
これまで日本の社会や企業は、「男は長時間労働すること」&「女は子どもが生まれたら仕事をやめて家事育児をたくさんすること」というセットを前提にしてまわってきました。
そのため世の中には、おもに男向けの「長時間拘束されて稼ぐ仕事」か、おもに女向けの「短時間で稼ぎがいまいちの仕事」の2種類しかなかった。「そこそこの拘束時間で効率よく稼げる仕事」はきわめて少なかった。
ふたりで稼ぐなら夫婦のどちらかが「長時間拘束されて稼ぐ仕事」をあきらめることが大半でしょう。もしふたりでそれを選んで子育てできるなら、よほどパワーのある夫婦か、条件に恵まれた夫婦に限られてくると思います。
つまり、妻(主夫の場合もある)が稼げていないのは、これまでの日本の社会がそういう仕組みだったからであり、本人の努力や能力とは別の問題だということ。
そう考えたら、稼ぎの多い少ないに応じた家事育児の分担など理不尽です。一見理にかなって見えますが、実際は夫婦間のアンバランスを助長するだけじゃないでしょうか。
それぞれの稼ぎとは関係なく、家事育児の得手不得手とか、生まれ持った体力とか、可処分時間などに応じて負担を分かち合うほうが理にかなう。いまは、そう思います。
■“稼ぎを引き受ける恐れ”自体が不当なものだったのでは
さて、筆者は以前、当サイトでこんな記事を書きました。
「なぜ母親なら“くだらない集まり”に出られるのか」
http://mamapicks.jp/archives/52175613.html
「父親がPTAに参加するのには賛成」と考えつつ、「実際はムリ」と言う母親が多いのはなぜか?という問題を考えた内容です。
このとき筆者は、推測できる理由のひとつとして「父親をPTA(家事育児)に参加させると、妻が“稼ぎ”を引き受けなければならなくなるのを、恐れているからでは?」と書きました。しかし、書いた本人(筆者)も、どこか釈然とせず。
よくよく考えた末、この推測に一点補足したいのは、「この“恐れ”自体が、じつは不当なものだったんじゃないか」ということです。
「稼ぎ」と「家事育児の負担」はトレードオフの関係ではないはず。だからPTAだろうとなんだろうと、遠慮なく負担を分かち合っていいんじゃないでしょうか。でないと、いつになっても “稼げる仕事”にだってたどりつけません。
これまでの状況を変えていくためには、じつは女のほうももうちょっと意識を変えていくべきだと思うのです。自分も含め。
![]() | 大塚 玲子 編集者&ライター。都内の編集プロダクションや出版社に勤めたのち、妊娠を機にフリーとなる。以来、書籍やムックの企画・編集・執筆などを行い、2014年からはWeb媒体にデビュー。結婚、離婚や子ども、家族をテーマにした仕事を数多く手がける。 |
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