夫が、機嫌悪いついでにぼそっと言った。
「いいかげん、そろそろもう少し手ぇかからなくなってくれよ」
子育てしていれば、男もぼやく。いらっともする。まぁそうだ。たしかに私もそう思うこともあるさ。しかし、だ。その言葉、あなたが放つのですか。その「手ぇかかること」のフォローに圧倒的な時間と労力をかけてしてきたのは私の方だろう。
……こちらも虫の居所が悪くて、そんなもやもやいらいらがうずまく。
あぁ、そうだ、なんだかいつだってこうなんだ。どっちがどれだけやっているか、その割合が頭の片隅にある。
「その程度しかやってないのに○□○□○□……」
「こんなにやってるのに○□○□○□……」
口に出さなくても、たぶんいつもそんなカウントをしている。
まず子どものこと。生活の面倒、遊び相手、発達や学習のフォロー、病気の時の世話……。どっちがどれだけやっている?
そして家事。料理、洗濯、そうじ、買い物……。どっちがどれだけやっている?
お金もそう。どっちがどの仕事でどれだけ稼いだか……。どっちがどれだけ何に使ったか……。
ちょっとした言葉にカチンとくるのは、なんだかたいてい、そのバランスに帰結しているんだ。

「いいかげん、そろそろもう少し手ぇかからなくなってくれよ」
子育てしていれば、男もぼやく。いらっともする。まぁそうだ。たしかに私もそう思うこともあるさ。しかし、だ。その言葉、あなたが放つのですか。その「手ぇかかること」のフォローに圧倒的な時間と労力をかけてしてきたのは私の方だろう。
……こちらも虫の居所が悪くて、そんなもやもやいらいらがうずまく。
■どっちかどれだけ?の分量合戦
あぁ、そうだ、なんだかいつだってこうなんだ。どっちがどれだけやっているか、その割合が頭の片隅にある。
「その程度しかやってないのに○□○□○□……」
「こんなにやってるのに○□○□○□……」
口に出さなくても、たぶんいつもそんなカウントをしている。
まず子どものこと。生活の面倒、遊び相手、発達や学習のフォロー、病気の時の世話……。どっちがどれだけやっている?
そして家事。料理、洗濯、そうじ、買い物……。どっちがどれだけやっている?
お金もそう。どっちがどの仕事でどれだけ稼いだか……。どっちがどれだけ何に使ったか……。
ちょっとした言葉にカチンとくるのは、なんだかたいてい、そのバランスに帰結しているんだ。

「あなたは私ほどやってないのに、そういうこと言うんだぁ」と、過剰に頭にきてイラッ。
「どうせ私はあなたほどやれてないですよ」と引け目になって、ちょっとした一言に過剰反応してイラッ。
なんだかそういう思考で満たされている。
「もう少し手がかからなくなってほしいよ……」
これが母親仲間から出た言葉だったら、間違いなく素直に「わかる~」って言うだろう。
夫だから、不機嫌まぎれにその口調で言うから、ねぎらえない。むしろひっかかる。
これって同等の育児負担をしていないからだろうか?……でも、仕事柄、ピーク時に時間を割けないのは私もよくわかっている。冒頭の一言が出たこの前の5連休中も、夫はずっと仕事。それはやむをえなかったし、私がもし逆の状況だったらば、正直、全部彼に任せて仕事だけしていたい。
だから多分、その瞬間の物理的な分担バランスだけが問題なのではない。
じゃぁなんだ、母親同志の共感との違いは。決して素直には寄り添えないこの原因は……。
ひとつには口調がきつくて嫌。そういう絶対的なマイナスポイントもある。それがきっかけで、過去の負の記憶がダイジェストで甦っているだけというのもあるだろう。
でも実は、私の側のタスク処理が滞りすぎて、私自身が「未達事項だらけ、焦燥感の極み」に陥っている場合が多いようなのだ。
ふたり暮らしの時よりも子どもが生まれてからの方が、夫婦の時間とか労力とかが、何でも「ふたりで1セット」に見えるようになった。どちらかがやるべき最低限の仕事/家事/育児はつねに目の前にあり、時間はそれぞれ1日24時間ずつしかない。
一方が仕事でパワーの出力を上げて家事育児での出力が下がれば、他方は家事育児でパワーの出力を上げて仕事での出力を下げなければならない。双方がパワー配分の仕切り板を押しつ戻しつ調整している感じだ。
つねにそういう出力バランスの向こう側とこっち側にいる関係。相手の動向の影響をダイレクトに受ける。
夫の「休みも仕事ばっかりモード」が続くと、私の週末は100%子ども時間。週末にちょっと解消できたら……という種の仕事の遅れや雑多なタスクを処理する時間が取れない。しかも5連休、長い……。
体と時間を子ども専用にしても、頭だけは大人モードに解放され、「やりたいのにやれないこと」が異様に頭の中をかけ巡る。
夜中とか明け方にやればいいのに、そんな時に限って「あぁ寝落ちしちゃったよ、朝まで寝ちゃったよっ!!」を繰り返す。焦燥感はつのり、寝過ごしたことを棚に上げ、「いいよね、仕事に時間使えて」……夫がうらやましく見える。
これが単なる友人で、家計や生活を同一にしていなければ、シンプルにねぎらえるだろう。その人の仕事漬けと私のタスク処理の滞りには関連性がないからだ。
でも、仕切りのこっちとあっちに位置する関係で、自分の側が滞ると、どうしても「そっち側はいいよね」と、うらやましくなってしまう。そして短絡的に「できないのはあっちのせい」という思考に陥りやすい。
実際には、仕事漬けが続きすぎている側にも相応の負担がかかっているに違いないのだけれど、そういう「向こう側」で抱えている重さとか、しんどさとかには、なかなか思いを寄せられない。多分逆も、そう。
お互いが「出力パワーの仕切り板を押しつ戻しつしている相手」そのものだから、気持ちが寄り添いにくいんだろう。
こうして書いてみるとあまりに単純な構造で、なんだか不毛だ。
でも、ここに陥ると結構抜け出しにくい。
こういう時に必要なのは、優しさを絞り出そうと道義的な努力をすることではない。どうも、「自分の側」のメンテナンスを急ぐことが大切なようなのだ。
メンテナンスといっても、高級プリンを食べてストレス発散!とか、そういうことではない。今回の場合なら、焦燥感の原因になったあふれ出るタスクを整理して低減するのが一番てっとり早い。
とりあえず頭の中でぐるぐる巡っているのものを書き出す。
やりかけのデザイン、必要な勉強、たまった事務処理、迫る納期、読みたい本、行きたい展示、書きかけの原稿、たまったレシート、運動不足、空っぽの冷蔵庫、床の上のほこり、子どもとの約束、行けない美容院、あぁ、米がもう無くなる、キッチンの電球はいつ切れたんだっけ……。
なんだ、もう、仕事も家のことも子どものこともごちゃ混ぜじゃないか!
単にタスク処理能力が低いだけ?……そういう自己嫌悪に陥る前に、どんな小さなひとつでもいいから、隙間時間にとりあえず手をつける。ちょっとでいいからこなす。消し込む。明らかに無理な量なら「やれない」に認定する。
できること/できないことを整理して、どうしても無理なことには心で「仕方なかった」シールをペタっと貼って自分を許すだけでもだいぶ効果がある。
そうやって、焦燥感とか未達感を軽くする「自分メンテナンス」をして、ようやく、息子とふたりでパーっと遊ぶ気になったり、夫の一言もまぁしょうがないかねぇ……、と、おおらかな気持ちに向かう準備ができた。
なんだかキリキリしていた気持ちがおさまった頃には連休が終わっていた気もするけれど、とりあえず対処の効果はあるらしい。
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仕切り板の向こうとこっちにいると、双方が「そっちのせい!」かつ「そっちは助けてくれない!」と二重の反発の輪にはまりがち。
だから、その二者のパワーバランスの外側の手を借りたり、たまにはその仕切り板を取り払って一緒に思いっ切り遊んだり、そういう工夫を意識的にすることも、大切なんだろうなぁ、と改めて思った。
おっとまた連休。楽しく過ごす準備、できているかなぁ……。
「どうせ私はあなたほどやれてないですよ」と引け目になって、ちょっとした一言に過剰反応してイラッ。
なんだかそういう思考で満たされている。
■寄り添える心がなぜ生まれない?
「もう少し手がかからなくなってほしいよ……」
これが母親仲間から出た言葉だったら、間違いなく素直に「わかる~」って言うだろう。
夫だから、不機嫌まぎれにその口調で言うから、ねぎらえない。むしろひっかかる。
これって同等の育児負担をしていないからだろうか?……でも、仕事柄、ピーク時に時間を割けないのは私もよくわかっている。冒頭の一言が出たこの前の5連休中も、夫はずっと仕事。それはやむをえなかったし、私がもし逆の状況だったらば、正直、全部彼に任せて仕事だけしていたい。
だから多分、その瞬間の物理的な分担バランスだけが問題なのではない。
じゃぁなんだ、母親同志の共感との違いは。決して素直には寄り添えないこの原因は……。
ひとつには口調がきつくて嫌。そういう絶対的なマイナスポイントもある。それがきっかけで、過去の負の記憶がダイジェストで甦っているだけというのもあるだろう。
でも実は、私の側のタスク処理が滞りすぎて、私自身が「未達事項だらけ、焦燥感の極み」に陥っている場合が多いようなのだ。
■仕切りの向こう側とこっち側
ふたり暮らしの時よりも子どもが生まれてからの方が、夫婦の時間とか労力とかが、何でも「ふたりで1セット」に見えるようになった。どちらかがやるべき最低限の仕事/家事/育児はつねに目の前にあり、時間はそれぞれ1日24時間ずつしかない。
一方が仕事でパワーの出力を上げて家事育児での出力が下がれば、他方は家事育児でパワーの出力を上げて仕事での出力を下げなければならない。双方がパワー配分の仕切り板を押しつ戻しつ調整している感じだ。
つねにそういう出力バランスの向こう側とこっち側にいる関係。相手の動向の影響をダイレクトに受ける。
■あっちに偏るとこっちも滞る
夫の「休みも仕事ばっかりモード」が続くと、私の週末は100%子ども時間。週末にちょっと解消できたら……という種の仕事の遅れや雑多なタスクを処理する時間が取れない。しかも5連休、長い……。
体と時間を子ども専用にしても、頭だけは大人モードに解放され、「やりたいのにやれないこと」が異様に頭の中をかけ巡る。
夜中とか明け方にやればいいのに、そんな時に限って「あぁ寝落ちしちゃったよ、朝まで寝ちゃったよっ!!」を繰り返す。焦燥感はつのり、寝過ごしたことを棚に上げ、「いいよね、仕事に時間使えて」……夫がうらやましく見える。
■パワー出力配分が利害関係を生み……
これが単なる友人で、家計や生活を同一にしていなければ、シンプルにねぎらえるだろう。その人の仕事漬けと私のタスク処理の滞りには関連性がないからだ。
でも、仕切りのこっちとあっちに位置する関係で、自分の側が滞ると、どうしても「そっち側はいいよね」と、うらやましくなってしまう。そして短絡的に「できないのはあっちのせい」という思考に陥りやすい。
実際には、仕事漬けが続きすぎている側にも相応の負担がかかっているに違いないのだけれど、そういう「向こう側」で抱えている重さとか、しんどさとかには、なかなか思いを寄せられない。多分逆も、そう。
お互いが「出力パワーの仕切り板を押しつ戻しつしている相手」そのものだから、気持ちが寄り添いにくいんだろう。
こうして書いてみるとあまりに単純な構造で、なんだか不毛だ。
でも、ここに陥ると結構抜け出しにくい。
■自分の側のメンテナンスが必要だった
こういう時に必要なのは、優しさを絞り出そうと道義的な努力をすることではない。どうも、「自分の側」のメンテナンスを急ぐことが大切なようなのだ。
メンテナンスといっても、高級プリンを食べてストレス発散!とか、そういうことではない。今回の場合なら、焦燥感の原因になったあふれ出るタスクを整理して低減するのが一番てっとり早い。
とりあえず頭の中でぐるぐる巡っているのものを書き出す。
やりかけのデザイン、必要な勉強、たまった事務処理、迫る納期、読みたい本、行きたい展示、書きかけの原稿、たまったレシート、運動不足、空っぽの冷蔵庫、床の上のほこり、子どもとの約束、行けない美容院、あぁ、米がもう無くなる、キッチンの電球はいつ切れたんだっけ……。
なんだ、もう、仕事も家のことも子どものこともごちゃ混ぜじゃないか!
単にタスク処理能力が低いだけ?……そういう自己嫌悪に陥る前に、どんな小さなひとつでもいいから、隙間時間にとりあえず手をつける。ちょっとでいいからこなす。消し込む。明らかに無理な量なら「やれない」に認定する。
できること/できないことを整理して、どうしても無理なことには心で「仕方なかった」シールをペタっと貼って自分を許すだけでもだいぶ効果がある。
そうやって、焦燥感とか未達感を軽くする「自分メンテナンス」をして、ようやく、息子とふたりでパーっと遊ぶ気になったり、夫の一言もまぁしょうがないかねぇ……、と、おおらかな気持ちに向かう準備ができた。
なんだかキリキリしていた気持ちがおさまった頃には連休が終わっていた気もするけれど、とりあえず対処の効果はあるらしい。
-----
仕切り板の向こうとこっちにいると、双方が「そっちのせい!」かつ「そっちは助けてくれない!」と二重の反発の輪にはまりがち。
だから、その二者のパワーバランスの外側の手を借りたり、たまにはその仕切り板を取り払って一緒に思いっ切り遊んだり、そういう工夫を意識的にすることも、大切なんだろうなぁ、と改めて思った。
おっとまた連休。楽しく過ごす準備、できているかなぁ……。
![]() | 狩野さやか ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。 |
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