SNSのタイムラインに赤ちゃんの写真が流れてきた。時刻は明け方、まだ生まれて間もない赤ちゃんの満足そうな顔と空っぽの哺乳瓶。コメントには「哺乳瓶での授乳に挑戦」とある。投稿の主は男性だ。昼のうちに搾乳した母乳を保存しておいて夜間の一回分だけお父さんが哺乳瓶であげるようにしているそうだ。

一見単なる「微笑ましいひとコマ」かもしれない。でも。ここには、育児を夫婦ふたりのものにする大きなキーが含まれていると思うのだ。


■100回のオムツ替えより1回の授乳


授乳は実際に飲んでいる時間だけでなく、その後の「飲み終わった?」→「もう深く寝たかなぁ」→「そろそろ平気かなぁ」→ 置いてみる→泣く→また抱っこでユラユラやり直し……。という「完全に寝るまで待ち」の苦行とセットだ。

3時間間隔と聞かされて、「間」が3時間かと思ったら大間違いで、それはスタートから次のスタートまで。事実上授乳スタートから2時間抱き続けて、その後1時間もしないうちにまた泣き出して次の授乳をしてみる……なんてことが、本当に続くのだ。

それが夜昼なく起きて泣いて飲んで寝てをひたすら繰り返しているだけの時期は、自分の睡眠は1時間とか2時間とかの細切れを延々と繰り返す。

1日にたった1回だけだとしても、この授乳ルーチンをまるごと交代してもらえたら、どれだけ睡眠時間の確保に助かるか。ゆっくりお風呂に入るとか、昼なら数時間単位の外出なんて「贅沢」も可能になる。

100回のオムツ替えよりも1回の授乳を交代する方が、はるかに母の疲労が軽減する効果が高いだろう。

■「育児で女性にしかできないのは授乳だけ」の落とし穴


「授乳以外の育児は誰でもできる」という文脈で、男性も主体的に育児に関わろう!という話になることは多い。母乳の直接授乳は女性にしかできないから、授乳以外のことを積極的に周りが協力する方向で考えがちだ。

でも、この「授乳だけ」が、逆にすべてと言えるくらい、育児の「女性度」を劇的に上げる要因だったりすると思うのだ。

睡眠時間が確保できないのは授乳が理由だし、母親が長時間赤ちゃんと離れるのが難しいのだって次の授乳が巡ってくるからだ。母子はセットのようにしてべったりくっついていなければならない。「やっぱりお母さんでないと」は、これで加速する。もし授乳を自在に交代できたらずいぶん違う。

育児を男女が共有できるようにするという視点から、哺乳瓶というツールは、もうちょっと見直されてもいいような気がするのだ。

■母乳vs粉ミルクじゃなくて……


母乳vs粉ミルクということではない。哺乳瓶でも搾乳して保存すれば母乳をあげられるし、哺乳瓶で粉ミルクをあげたっていい。母乳栄養の優れている面を否定するつもりはないし、粉ミルクを否定するつもりもない。

私自身は、息子の乳児期、直接母乳、搾乳した母乳(冷蔵/冷凍)、粉ミルクを、ひと通り経験した。母乳育児だ!と本も買って頑張っていた時期があるから、母乳にこだわる気持ちもわかる。完全粉ミルクに切り替えてから、あれ?ものすごく体も気分も楽だなぁと思ったから、粉ミルクもいいよね、とも思う。

母乳へのこだわりや粉ミルクへの抵抗感のような壁は、きっかけがあって越えてしまえばどうということもなく、医療面の事情など大きな問題から見たら、最終的にはあまりにも小さなことに思えた。だから、いろいろな選択肢があることを知った上で、それぞれの事情や環境、気持ちに応じて選べばいいだけ、とシンプルに思う。

その選択肢のひとつに、母乳か粉ミルクか……の論争から離れたところで、「お母さんを授乳の疲労から解放するための哺乳瓶活用」という項目が加わって、普通に語られるようになったらいいなぁと思うのだ。

■「赤ちゃんが哺乳瓶を受け付けない!」はある?


赤ちゃんが哺乳瓶を受け付けなくて……という話も聞くが、これはYESでもありNOでもあると思う。

三児の母である友人は、直接母乳で育てて、いざ哺乳瓶を使いたいと試したら、3人ともいっさい受け付けなかったと言う。別の友人は、やはり直接母乳だけできて保育園入園で哺乳瓶を託したら嫌がり、離乳食が始まっていたので園ではスプーンで飲ませてくれたそうだ。この文脈では「受け付けない」はYES。

一方、冒頭のお父さんのところの赤ちゃんは、早い段階から直接母乳と搾乳母乳+哺乳瓶をスムーズに併用できているし、別の友人で「お手伝いレベルでない本格的な育児主体」をこなしている男性に聞くと、最初から直接母乳と哺乳瓶+粉ミルクの併用で、とくに困ることはなかったという。この文脈では「受け付けない」はNO。

両者の一番大きな違いは、単純に「慣れ」のように見える。お母さんの腕の中で母乳を直接飲むことだけに慣れきった後だと、他のすべてが、不安でしっくりこなくて嫌!と赤ちゃんが感じるのも自然な反応だろう。早い段階で母親以外が哺乳瓶で参加していた後者は驚くほど抵抗がなさそうだ。

そして「慣れ」以外の事情も作用する。例えばうちの子の場合、最初長引いた入院中は哺乳瓶だったのに、直接母乳だけの生活に慣れてからは哺乳瓶を拒否。その後健康状態の変化とともに粉ミルクに移行したものの、哺乳瓶なのに母親以外の手からは飲まない状態がずっと続き、最後には自分で哺乳瓶を持って飲むようになった。

このひとりの変化に付き合っただけでも、赤ちゃんがどの授乳形式を受け入れるか、というのは、慣れや安心感だけでなく、体力・筋力・認知力、等々が複合的に作用しているのだと実感する。

■十人十色の授乳ストーリー ~価値は相対的なもの


「授乳」について尋ねると、10組の母子に10通りのストーリーがある。アレルギーに気づかなかった/気づいたきっかけが授乳と関連していた友人の話は、それだけでひとつの壮大な物語だったし、仕事の復帰や保活とセットでしか語り尽くせない人も、子どもの病気と切り離しては語れない人もいるだろう。

ひとつひとつの授乳ストーリーは、母親の感覚、子どもの発達過程、家族の関係、母子の医療的・社会的な事情などと絡み合っている。母乳か粉ミルクかとか、哺乳瓶を使うか使わないかとか、そういう何か絶対的な指標で断ずることはできないよなぁ、と気付かされるのだ。

選択肢はいろいろある。道具もいろいろある。

絶対的な価値基準を求めて大量な「情報」に振り回されるよりも、信頼の置けるソースから「知識」を得て、それぞれの事情と考えで「選択」したものが、相対的にその家族にとって正解。そうやって楽に語られるようになったらいいなぁと思う。


狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。