週末、電車でベビーカーの赤ちゃん連れ単独行動のお父さんに遭遇した。
町中には、園や習い事の送迎をするお父さん、子ども乗せ自転車で疾走するお父さんもあふれ、そんな男性の姿は、もうすっかり珍しくなくなってきた。
その割に、まだまだ男性が育児を「参加する」とか「手伝う」とか、補助的な言葉で捉えがちなのはなんでだろう。もしかして、けっこう本気で「女性は妊娠・出産すれば自然に母になる」なんてことを信じていたりするんじゃないだろうか。
よく、男性は妊娠とか出産をしないから「父親の自覚」を持つ間がない、というけれど、女性だって自動的に母親の感覚を持てるわけでは決してない。
多くの男性がイメージするのは、女性は妊娠や出産を経て「母性本能」とやらがじわじわ出て、だんだん母親化して、子どもが生まれた時にはもう、赤ちゃんの扱い方も何でも自然にわかるようになっている、というストーリーかもしれない。
でも、現実の女性の身にはかなり違うことが起こっているのだ。

女性は妊娠すると「なんだか自然と母っぽい気分」になるのか、というと、正直そんなことはなかった。その代わりに、圧倒的な体調の変化に否応なく引きずり込まれる。「妊娠は病気じゃない」なんて言うけれど、妊婦の体調の不快/不安定指数は間違いなく大病級だ。
つわりのあり得ない吐き気だったり、全身の不快感、お腹の張りやしんどさ、胃腸その他様々なエリアの不調や形状変化……びっくりするほど変わる自分の身体をマネージするのでとりあえず必死である。
ドラマで見るような、お腹の赤ちゃんに話しかけるとか、そういう「ふんわり」した行為の大部分は、自然ににじみ出るというより、むしろ自己演出的な風合いが強いと思うのだ。だからやらない人は多分びっくりするほどこの手のことをやらない。逆にやる人は、多分ものすごくやる。
この「ふんわり」ムードは「母性」と誤解されやすいけれど、男性が妻のお腹に話しかけるのと条件はたいして変わらない程度に演出要因がじつは強いと思う。
もちろん赤ちゃんに対して、物理的に体内に宿しているという「保安員/栄養補給者」としての責任を自分の身体に対して感じてはいる。でもそれは、ふわふわの「母性本能」とやらが自動的ににじみ出てくるイメージとは程遠く、もっと物理的な事象で論理的な思考なのだ。
一般的な出産の進行、赤ちゃんのケアの仕方、等を学ぶのは、座学や本・雑誌・ネットからであり、ゼロから男性が同じツールで学ぶのとじつはとくに何も違わない。お腹に宿しているからといって、何か「本能」的に会得できるわけではまったくない。
実際私はこれらのことを「学習」するまでたいして知らなかった。必要物品は雑誌とネットで調べ、病院の講座で食事の栄養バランスやお産のリアルな進行を学び、妊娠後半で育児書を入手して乳児の世話の仕方を調べた。男性が同じ手順で学習するのとたいしたアドバンテージはない。
出産を経て赤ちゃんを抱いて、これはもう最強に大切な存在だと感じた。でも、だからといって、母としての本能的な何かが降りてきて、自動的に育児の仕方がわかってプロフェッショナルに世話をし始められるかというと、まさか、そんなことは全然ないのだ。
自分の胸から授乳する方法も、抱き方も、おむつのつけ方も、助産師さんに教えてもらわないと何ひとつわからない。それくらい本気でゼロ。このふにゃふにゃした壊れてしまいそうな存在を、家に「持ち帰って」果たして大丈夫なんだろうか、やっていけるんだろうか、と、本当はそう思っているのを隠しているくらい、まったくの素人なのだ。
よく子どもの体調や発達に関する心配事に際して、「お母さんの直感が正しいことが多い」と言われることがある。
たしかに、「なんとなくこれまずいんじゃないかな」とか、そういう「直感」が、働いたり当たったりすることがあるのだけれど、それは生んだ直後でも機能するような「女性だからもともと持っているもの」では決してない。
これは、慣れと観察力、知識の学習、他の赤ちゃんも目にするなどの総合的な経験則からこそ得られるものであり、男性だって赤ちゃんとべったり一緒に過ごしていたら、同じ「直感」は間違いなく身につく。
実際私は生後一週目、けっこう重大なシーンでその手の言葉を聞かされたとき、確信した。いや待て、ほんの数日しかこの赤ちゃんを見ていない私は何も「直感」的になんて感じていないし「母親」だからってまったくわからないぞ。たくさんの事例を見ている医療従事者以上にこの赤ちゃんの状態がわかるわけがないじゃないか……。
残念ながら、女だからって何かがわかるものでもなく、女も男も、新生児を扱うことに関してゼロからしかスタートしていないのが本当のところなのだ。経験則がない初期段階で、「母親の直感」なんてもの、機能するわけがない。
だから、男性は自分が育児に対してディスアドバンテージがあるとは、まったく思う必要はない。女性の方が勝っていることなんてたいしてないのだから。
むしろ、女性の方が、出産で身体も気持ちもダメージを受けているし、自分の体から物理的に出てきたという事実から、その赤ちゃんを客体化しづらいという面倒さを抱えている。その一体感は、育児においての過剰さや息苦しさにつながりやすい。
むしろ、男性の方が、身体は元気なままで体力はあるし、何より、フラットな視点で子どもを見られるというメリットも実はある。そういえば、まだふにゃふにゃの0歳代の赤ちゃんだった息子に対して、ある局面で「彼自身の権利」という考え方をしたのは、夫の方だった。当時まだ私にその発想はなかった。
女性は、ふわふわのやわらかい「母性」とやらのイメージに反し、妊娠出産では身体の変調とダメージに必死で対処して、育児では目の前の小さな存在にドキドキオロオロしているのを、“女のプライド”みたいなもので踏ん張って下支えして、隠しているだけだったりする。
そういう努力の全体を「自然に母になる」なんてとんでもない。逆に、男性だってそういう努力を通してのみ「自然に父になる」ことができる。
だから、本質的に「手伝う」という発想はナンセンスで、必要ない。初心者同士「一緒に」やればいい。
どっちも素人、ゼロからのスタート……そこを互いが確認しあえて、女のプライドと男のプライドをちょっとずつ捨てて本気で支えあえたら、きっと強い絆になる。
町中には、園や習い事の送迎をするお父さん、子ども乗せ自転車で疾走するお父さんもあふれ、そんな男性の姿は、もうすっかり珍しくなくなってきた。
その割に、まだまだ男性が育児を「参加する」とか「手伝う」とか、補助的な言葉で捉えがちなのはなんでだろう。もしかして、けっこう本気で「女性は妊娠・出産すれば自然に母になる」なんてことを信じていたりするんじゃないだろうか。
■「突然さ」は男女とも同じ
よく、男性は妊娠とか出産をしないから「父親の自覚」を持つ間がない、というけれど、女性だって自動的に母親の感覚を持てるわけでは決してない。
多くの男性がイメージするのは、女性は妊娠や出産を経て「母性本能」とやらがじわじわ出て、だんだん母親化して、子どもが生まれた時にはもう、赤ちゃんの扱い方も何でも自然にわかるようになっている、というストーリーかもしれない。
でも、現実の女性の身にはかなり違うことが起こっているのだ。

■妊娠期は体調変化との戦いでしかない
女性は妊娠すると「なんだか自然と母っぽい気分」になるのか、というと、正直そんなことはなかった。その代わりに、圧倒的な体調の変化に否応なく引きずり込まれる。「妊娠は病気じゃない」なんて言うけれど、妊婦の体調の不快/不安定指数は間違いなく大病級だ。
つわりのあり得ない吐き気だったり、全身の不快感、お腹の張りやしんどさ、胃腸その他様々なエリアの不調や形状変化……びっくりするほど変わる自分の身体をマネージするのでとりあえず必死である。
ドラマで見るような、お腹の赤ちゃんに話しかけるとか、そういう「ふんわり」した行為の大部分は、自然ににじみ出るというより、むしろ自己演出的な風合いが強いと思うのだ。だからやらない人は多分びっくりするほどこの手のことをやらない。逆にやる人は、多分ものすごくやる。
この「ふんわり」ムードは「母性」と誤解されやすいけれど、男性が妻のお腹に話しかけるのと条件はたいして変わらない程度に演出要因がじつは強いと思う。
もちろん赤ちゃんに対して、物理的に体内に宿しているという「保安員/栄養補給者」としての責任を自分の身体に対して感じてはいる。でもそれは、ふわふわの「母性本能」とやらが自動的ににじみ出てくるイメージとは程遠く、もっと物理的な事象で論理的な思考なのだ。
■多くは「学習」であり「本能」とやらではない
一般的な出産の進行、赤ちゃんのケアの仕方、等を学ぶのは、座学や本・雑誌・ネットからであり、ゼロから男性が同じツールで学ぶのとじつはとくに何も違わない。お腹に宿しているからといって、何か「本能」的に会得できるわけではまったくない。
実際私はこれらのことを「学習」するまでたいして知らなかった。必要物品は雑誌とネットで調べ、病院の講座で食事の栄養バランスやお産のリアルな進行を学び、妊娠後半で育児書を入手して乳児の世話の仕方を調べた。男性が同じ手順で学習するのとたいしたアドバンテージはない。
■出産したって自動的に母親化するわけじゃない
出産を経て赤ちゃんを抱いて、これはもう最強に大切な存在だと感じた。でも、だからといって、母としての本能的な何かが降りてきて、自動的に育児の仕方がわかってプロフェッショナルに世話をし始められるかというと、まさか、そんなことは全然ないのだ。
自分の胸から授乳する方法も、抱き方も、おむつのつけ方も、助産師さんに教えてもらわないと何ひとつわからない。それくらい本気でゼロ。このふにゃふにゃした壊れてしまいそうな存在を、家に「持ち帰って」果たして大丈夫なんだろうか、やっていけるんだろうか、と、本当はそう思っているのを隠しているくらい、まったくの素人なのだ。
■「母親の直感」なんてものは存在しない
よく子どもの体調や発達に関する心配事に際して、「お母さんの直感が正しいことが多い」と言われることがある。
たしかに、「なんとなくこれまずいんじゃないかな」とか、そういう「直感」が、働いたり当たったりすることがあるのだけれど、それは生んだ直後でも機能するような「女性だからもともと持っているもの」では決してない。
これは、慣れと観察力、知識の学習、他の赤ちゃんも目にするなどの総合的な経験則からこそ得られるものであり、男性だって赤ちゃんとべったり一緒に過ごしていたら、同じ「直感」は間違いなく身につく。
実際私は生後一週目、けっこう重大なシーンでその手の言葉を聞かされたとき、確信した。いや待て、ほんの数日しかこの赤ちゃんを見ていない私は何も「直感」的になんて感じていないし「母親」だからってまったくわからないぞ。たくさんの事例を見ている医療従事者以上にこの赤ちゃんの状態がわかるわけがないじゃないか……。
残念ながら、女だからって何かがわかるものでもなく、女も男も、新生児を扱うことに関してゼロからしかスタートしていないのが本当のところなのだ。経験則がない初期段階で、「母親の直感」なんてもの、機能するわけがない。
■男性の方がフラットな視点を持てる
だから、男性は自分が育児に対してディスアドバンテージがあるとは、まったく思う必要はない。女性の方が勝っていることなんてたいしてないのだから。
むしろ、女性の方が、出産で身体も気持ちもダメージを受けているし、自分の体から物理的に出てきたという事実から、その赤ちゃんを客体化しづらいという面倒さを抱えている。その一体感は、育児においての過剰さや息苦しさにつながりやすい。
むしろ、男性の方が、身体は元気なままで体力はあるし、何より、フラットな視点で子どもを見られるというメリットも実はある。そういえば、まだふにゃふにゃの0歳代の赤ちゃんだった息子に対して、ある局面で「彼自身の権利」という考え方をしたのは、夫の方だった。当時まだ私にその発想はなかった。
■「手伝う」という発想のナンセンスさ
女性は、ふわふわのやわらかい「母性」とやらのイメージに反し、妊娠出産では身体の変調とダメージに必死で対処して、育児では目の前の小さな存在にドキドキオロオロしているのを、“女のプライド”みたいなもので踏ん張って下支えして、隠しているだけだったりする。
そういう努力の全体を「自然に母になる」なんてとんでもない。逆に、男性だってそういう努力を通してのみ「自然に父になる」ことができる。
だから、本質的に「手伝う」という発想はナンセンスで、必要ない。初心者同士「一緒に」やればいい。
どっちも素人、ゼロからのスタート……そこを互いが確認しあえて、女のプライドと男のプライドをちょっとずつ捨てて本気で支えあえたら、きっと強い絆になる。
![]() | 狩野さやか ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。 |
---|