友人の大事件を聞いた。ショッピングモールでほんの一瞬目を離した隙に子どもを見失い、慌てて探したけれど見つからない。お店にも頼み、広いモール中を徹底的に探してもどうしても見つからない。まだ3才、店内のどこかにいるはず……ところが、最終的にひとりで自宅の前にいたのが発見されたのだ。

たまたま通りがかった人が気にして、事情を聞いてくれたのがきっかけになった。

でもなんで?そこから自宅までは子どもの足で20~30分はかかるのに、ひとりで外を歩かせたことなんてないし、来るときは自転車に乗せてきたし、信号だってある。もし道に迷ってたら?……母親としてはホッとすると同時に、ゾッとする瞬間でもあっただろう。


■幼児のひとり歩きが呼び止められなかった不思議


想像しただけで頭が真っ白になりそうな出来事だし、本当に事故がなくてよかった。

でも、何かひっかかる。

3才の幼児が、たったひとりで店舗を出て、たったひとりで30分間歩き続けたのだ。誰も見ていなかったわけがない。誰ともすれ違わなかったわけはない。なのに、自宅前で保護されるより前のタイミングでは、誰にも止められなかったわけだ。

「3才児のひとり歩き」って、明らかに不自然じゃないだろうか……。

想像してみる。幼児がひとりで泣きながら歩いていたら、きっと誰でも声をかけるだろう。

でも、黙々と不安そうな様子なく歩いていたら?……今回の場合、何かはっきりした意志を持って家に向かったのだろうから、このパターンだった可能性はある。

「『初めてのお使い』的なもの?」
「お母さんが離れて歩いているだけ?」
そんな風に思ってしまうかもしれない。……いやいや、でもなぁ、3歳って小さいよなぁ。やっぱりどう見てもちょっと不自然じゃないかなぁ……。

■いらぬ「配慮」と「気遣い」が人の声を奪う


何か「あちら側の事情」を想像して声をかけそびれたり、遠慮して声をかけそびれることって確かにある。

駅や街中で、白い杖の人を、じっと数人が囲むように眺めて立ち止まってしまうシーンがあるけれど、あれもそう。目には留まった、気になる。でも、「手伝ったらかえって邪魔かな?迷惑かな?」「手伝ったらプライドを傷つけるかも?」などと思って、つい見守ってしまう感じ。

「無関心」とか「冷たい」とか表現される状況のけっこうな部分が、こんなふうに相手に対する「過剰な配慮」で、気持ちにブレーキをかけるせいで起きているような気がする。

でも、だ。3歳児のひとり歩きという光景や、白い杖というマークに、そんな配慮は必要ないはずだ。

乳幼児とかお年寄りとか妊婦とか車椅子とか白い杖とか盲導犬とか……一見して明らかに「少し不便な側面」を抱えている人には、反射神経でとりあえず声をかける、でいいと思う。「あちら側の事情」をいろいろ考えて配慮して足踏みしてる場合じゃない。それを飛び越える「プラスの無遠慮さ」が、たぶん一番足りない。

もしも助けが不要なら、相手は普通に「大丈夫です」と言うだけのこと。その1回分のコミュニケーションをとればいいだけだ。

■トラブルを避けるには?


かといって、相手が幼児の場合、うっかり声をかけて後で不審者扱いされたらどうしよう?小さい子を混乱させて事態を悪化させたらどうしよう?……そんな不安もあるかもしれない。

そういう時は、必ず誰か別の人を巻き込むのはどうだろう。「ちょっとこの子、ひとりで歩いているの不自然ですよね?一緒に対応してくれませんか?」。こうすれば、自分だけで判断しないで済む。

実際のところ、幼稚園くらいの年齢でもひとりでおつかいに行く子もいるから、判断は難しい。子どもの成長は個人差が激しいから、自分の子は基準にならないだろう。

まだ息子が幼稚園の頃、同じ園の子がひとりでスーパーにいるのに遭遇し、「ひとりできたの?おつかい?」ときいた上に、お母さんにメールまでしてしまったことがあった。

本当にただのおつかいだったのだけれど、互いに顔を知っているだけで、「あれ?」と気にかけ網にかかる率は上がる。こういうときに「地域」っていうのが力を発揮する。顔なじみ程度の弱いつながりがなんとなく連携して、うすくゆるく醸成される空気も立派な「地域」だ。

■驚きの行動力を発揮してしまう幼児はいる


「そもそも親が目を離すのがいけないだろう」という厳しい意見に対し、自信を持って「そうだ!」と同調できる親がどのくらいいるだろう。

ほんの一瞬たりとも目を離さないって本当に難しいことだ。冒頭の友人だって、子どもを放っておいたわけじゃない。隣の棚に移動したほんの少しの間だったのだ。

しかも、3歳くらいの頃の行動パターンは、驚くようなケースが多い。今回の話とは逆で、家からひとりで鍵を開けて出かけてしまい、行った先で保護された……なんていう体験を聞いて、ヒヤリとしたこともある。お母さんも家の中にいたのに、音に気付きにくい状況が続いただけでいつの間にか……本当にそんなことが起こるのだ。

自分なりの理屈が成立して、ひととおりの操作能力と体力があると、子どもは驚くような行動力を発揮してしまうことがある。

もっと幼い時期の衝動的な動きも体感しているから、親は常に気持ちが張った状態で子どもを見る習慣がついている。誰だって子どもを危険な目に遭わせたくはないから、相当気をつけている。それでも、完璧は、無理だ。「親が目を離さない」のは原則としても、不可抗力に近いケースだってある。

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がっちり組織的に連携しなくていい。個人がいらぬ「配慮」をちょっと捨てて、反射神経でヘルプするくらいの「無遠慮さ」を持つと、きっと、もっとユルくつながれる。

何もそれをきっかけに知り合いになろうっていうんじゃない。深く考えずにその場かぎりの通りすがりのさらりとしたヘルプが、もっと「当たり前」になったらいいなと思う。

逆もそう。「人に迷惑をかけないようにオーラ」を出してかえって手助けしづらいムードを作ってしまっている可能性もある。人も助ける、自分も助けてもらう。それを両方セットで実行したい。

狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。