NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』がそろそろ終わる。主人公の常子は三姉妹の長女で、早くに父を亡くし、ふたりの妹の父代わりをするという設定。大人になって戦後、ふたりの妹が結婚するのだけれど、そこで典型的な二大セリフを聞くことになった。

■典型的な結婚のセリフの古さ


次女の鞠子のときは、常子が「幸せにしてやってください」と言い、夫になる人が「僕は鞠子さんを一生かけて幸せにします」と決意を込めて力強く言う。

三女の美子のときは、夫になる人が「美子さんを僕にください」と言い、常子は「ふつつかな妹ですが」と返す。

時代設定的にもごく当たり前な表現でしかないのだけれど、なんだか2回とも、妙にひっかかった。あぁ、なんだか、この「幸せにします」とか「僕にください」とかっていう「男が女を幸せにする」的な図式、もう、あまりにも古い!ふたりで仕事も子育てもするような時代には全然合ってない!!……なのに、もしかして、この「男が女を幸せにする」的な図式に、私たち自身がまだまだ結構引っ張られているんじゃないか……と、ちょっとヒヤリとした。


■「男が女を幸せにする」構図があふれていた時代


今、結婚するふたりに「ふたりで幸せになってね」と言うことはあっても、さすがに「△△くん、○○さんを幸せにしてよ」的なことを言ったりはしないかもしれない。

でも、そういえば、団塊ジュニア世代の私が子どもの頃、身の回りにあったドラマとか架空のストーリーで描かれる男女は、ベースに「男が女を幸せにする」の図式があるものが圧倒的に多かった。男が女を「幸せ」にしようと経済的に努力するのは当たり前で、すべきなのにできない経済力のない男はバカにされ、すべきなのに男女逆転であることは面白おかしく描かれ、自立する女は極端に格好いい存在で……。当時の「現代」が設定でも、「幸せにします」「僕にください」の典型的なセリフはいくらでも聞いた。

リアルな世界でも、専業主婦と外で働いて家族が食べられる収入を得る夫、の組み合わせが断然多く、それが当たり前だった。

■根深くこびりついているかも?という怖さ


そういう子ども時代に、花嫁姿に憧れたり、家の中で「可愛い奥さん」として「働く夫」を支える姿をイメージしたりすることは、やっぱりあった。ふわふわとパステルカラーの世界に憧れていたわけでもなくて、とくにイメージを押し付けられたわけでもなく活発な方だったとしても、そう思い描いたりしたことはあるくらい、ごく平凡に普通の感覚としてこの図式が身の回りにあった。

大人に近づいてからの私自身の志向も今の現実も、この図式とは違うのだけれど、朝ドラであのセリフを聞いた時、強烈な違和感とともに、子どもの頃にはこういうセリフを全然疑問に思ってなかったなぁ、ということに気づいて、なんだか、この手のイメージの根深さに、ぞぞぞ、としたのだ。

子ども時代のそういう身の回りの「なんとなくふつう」だった空気って意外に強烈で、男女ともに根っこの方になんだかこびりついている。

■「子育て」は自己矛盾を起こすタイミング


今とっくに時代は変わっていて、女性が「あなたに幸せにして欲しいわけじゃない、一緒にがんばりたいだけ」と思う気持ちは育ちやすいし、普通に仕事もして男女同じ給料をもらえる経験も、だいぶしやすくなった。家を出るとか嫁に行くとか、男が女を幸せにするとか、そういう感覚ってどんどん弱まってきている。

ところが、結婚ぐらいじゃ揺らがないとしても、育児っていう、絶対的に時間と手が必要なことが生活に入り込んできたときに、大いに混乱するのだ。夫婦で業務の再分配をしなければ乗り切れないシーンに直面したとき、今まで表面で実現していた社会的な平等感と、こびりついている「男が女を幸せにする」的な家庭イメージがぐちゃぐちゃに混ざりやすい。

■今までの責任やプライドを「捨てる」ことも大切


男性も女性も仕事(収入)と家庭(家事育児)両方に同じように責任を持てるようになれたらいいなぁと思うし、この先それがだんだん主流になっていくと思うのだけれど、今はまだ、「女性単体の変化」だけが先行している状態だ。女性だけが変わっても何も解決しない。

男性は、家庭での責任を負う分、仕事でお金を稼ぐ責任やプライドを半分捨てた方がいい。女性は、収入の責任を負う分、家庭での責任やプライドを半分捨てた方がいい。お互いが新たな責任を負う事も、背負っているものを捨てることも尊重するようなシフトチェンジが必要だと思う。

でも、「男が女を幸せにする」的な図式のカケラが頭の隅にちょこっとでもあると、こういうシフトチェンジは、すごく難しい。そんな図式、とっくに捨てたつもりでも、そう簡単に消え去ってくれるものでもなくて、意外な形で残っていてたりする。相手への攻撃や自分への甘さとしてひょっこり顔を出す。

そして、男性が自分に対してこの図式を捨てるのは、どうやら女性の側から想像する以上にハードルが高いようだ。

■平等志向夫婦の生きにくさ


「男が女を幸せにする」的な家庭イメージを捨てられないと、パパになって家事育児をがんばっても、どこか「これは俺の『本来の』仕事じゃないんだけどね」感が漂って、それがママには不愉快。ママになって育児家事をひとりで背負うと「私の『本来の』役割だからひとりでできないとダメなんだ」と弱音を吐けなくなる。

仕事をしながらママ業をすれば、家事や育児に十分時間を割けないことが『本来』のイメージと違うからイライラする。パパはそれを解消するために家庭に責任を持つ方に動かず「ママは『本来』仕事しなくても俺が稼ぐからいいのに」と、ママが辞める方に手を貸しかねない。

ふたりの分担や気持ちのずれを調整するのに疲れて面倒になると、「男なんだからそっちが全部稼いでよ」「女なんだからそっちが家事育児フルにやってよ」と、「男が女を幸せに」的役割分担に逃げたくなるかもしれない。

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今、平等志向の子育て夫婦の生きにくさのベースって、この辺にあるような気がする。仮に制度が整ったとしても、これを捨てられないと、家の中のふたりのバランスは何も変わらない。

「男が女を幸せにする」的イメージ、まず、ふたりそろって思い切りポイッと捨ててしまおう。……捨てしまえたら、いいなぁ。

狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。