“人生最古の記憶”について考えたことがあるだろうか。

筆者の最古の記憶は、地元の私立幼稚園の受験日。
ハサミを持ってまっすぐな線を切るものだったのだが、「こんな簡単なことやらせて、バカにされているのかな」とぼんやり考えたのを覚えている。

「俺?……小1かなあ」

夫に同じ質問をしてみたところ、そのような回答を得た。

……えっ? 小1??
幼稚園の記憶がばっさり抜け落ちているの???

自分がアベレージだと思ってこれまでやってきたので、軽く衝撃を受けたのだった。

■育児、それは過去の自分との戦い


「赤ちゃん生まれても、誰かと比べたらダメよ、この子はこの子なんだから」
長男が生まれる前、たしか母親にそんなことを言われた。

「……そうはいわれても、相対評価して安心したいし」

はじめての育児では基準がわからない。
何ができたらOKで何だとNGなのか、そもそも誰がジャッジするのか。

“自己肯定感”“自尊心”

育児界隈で頻繁に目にするそれらのワードが、一人目の育児においてたびたび筆者を苦しめた。

「誰とも比べない、ありのままのわが子を受け止めて」

子どもの自己肯定感を高めようと気をつかうほど、自分がどんどん空っぽになる気がして、自分自身の自己肯定感は低くなり、自尊心はどんどん傷ついていったのだった。

やがて、安心したいがための“相対評価”の比較対象先は、保育園の同級生でも近所の子でもなく、非実在である“長男と同じ年のころの自分”になっていくのだ。当時の記憶を掘り起こしながら。

ある日、長男の同級生が出演するダンスの発表会に誘われた。

長男自身も習っているダンスクラスの発表会があったのだが、人前で踊るのがイヤだという理由で、これまで2回参加を辞退している。

個人的には「なんてもったいないことを!」と思っているが、長男とは6年付き合っているのでなんとなくわかる。彼の言う「人前で踊りたくない」は「発表会ってどういう規模でどういうものだかわからないから怖い」ではないかと。

客電が落ちると舞台には次々とキッズダンサーが出てきて踊る。

「うち、ゆるゆるだからさー」と同級生のお母さんは言っていたが、たしかに、テレビで見るキッズダンサーのような殺気はない。「ああ、一生懸命練習してきたのね!」と親の気持ちになって見てしまったが、同時に三十数年前の記憶がぶわーっと押し寄せてくるのを感じた。

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筆者はかつてバレエ教室に通っていた。
4歳から始めて13歳で辞めるまでの9年間、週1~2日のレッスンに通った。

怖い先生だった。
「先生が3回踊るあいだに振りを覚えない子は辞めちまえ!」
レッスンも半分は怒鳴り声だった。

それでも続いたのは、先生にオンとオフがあったからだろう。
普段の先生は面白い話をたくさんしてくれた。レッスンが終わるとみんなに氷砂糖やチョコレートを1粒ずつくれる。結局はお菓子につられて9年続いてしまったとも言えるのだが……。

毎年発表会があり、それは通っていた幼稚園の体育館からスタートし、最終的には日比谷公会堂や三越劇場の舞台にも立った。ドーランの使い方がうまくなり、デーモン閣下のような派手なメイクも慣れた。小学校高学年では1人で踊る演目もあった。

舞台に立つことを怖いとかイヤだと思ったことは一度もなく、「そういうものだから」と淡々とこなしていた。ただ、学校の友だちが見に来るのだけがちょっとイヤだったかな……。あの“普段じゃないところを見られた”ときの恥ずかしさ。

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舞台の上にいる長男の同級生に目をやった。
こちらに気づいたかどうかはさておき、舞台上に、私は6歳の自分を見た気持ちになったのだ。

友だちの出番をきちんと座って見届けた長男は、くるっと私のほうに振り向き、「これならできそう!」と耳打ちした。“発表会とは何か”を、現場を見ることで理解したのだろう。

しかし“子どもの友だちの舞台”だからこそ親目線で見られたが、これがいざ自分の子となったら、私は経験者として「何歳だろうと関係ない、板の上に立ったらプロだよ」という先生の言葉を思い出し、厳しめに見てしまうのではないだろうか……。

■みんなちがってみんなおんなじ


私は長男ではないし、長男は私ではない。

……突然何を言っているのか?と思われそうだが、長男はさておき、筆者のほうは“親と子は別人格である”ということを気に留めているつもりだ。むしろ、気にするあまり、少々突き放しすぎているかもしれない。

親子だから仕方ない部分もあるのだが、私と長男はどこか似ている。顔はまあ、いうまでもなくそうなのだが、したくが遅いところは完全に筆者の血を引いたとしか思えない。

「早くしなさい!」と言わないと進まないし、言ったところで早くはならないのだが、言わないとぼけーっと別の遊びを始めてしまうことも多い。

いっしょに過ごしている時間の9割は「早く!」と怒鳴ってしまうのだが、3回に1回くらい、その言葉はブーメランとなって自分に刺さっている。自分の昔を思い出して、いたたまれなくなるのだ。

それは私と実父の関係にまでさかのぼる。
「しゃべってばっかりで、したくも給食も遅いところがそっくり!」とよく祖母に言われていた。

筆者の通う小学校の教頭先生がかつて父親の担任だったこともあり、ずっと父のことはまわりから言われ、そっと比べられもしてきたのだろう。しかし当の父は、仕事で家にいることがほぼなく、子どもに叱った言葉がブーメランとなって自分に刺さる経験など一度もないまま、育児のステータスから脱してしまった。ずるい。

父方の母である祖母と同居していたので、父親の昔の恥ずかしい話は、それはたくさん聞いた。どんな幼少期で、どんな失敗をして、どんな青年になったのか。タイムマシンで見に行ったかのように私は知っている。

しかし母親については、何も知らないのだ。
性格的に自分のことを語らないし、母の両親はすでに他界している。

私が、私一人だけが、子どもに叱った言葉がむなしくブーメランとなって刺さり続け、たまに大人の立場で子を諭そうとすれば、実の親から「お前が言うな」とつっこまれる人生なのだ。

……なんともいえない不公平感。

似ているからこそ、「私ならこう思うからそうに違いない」と長男の気持ちを先読みしてしまうこともあるが、「えー、そんなことで?」という理由で泣かれることもあるし、こちらが思っているほど気にしていなかったり、逆に「そこはもっと気にしろよ!」と思うこともある。

「似てるし、親子だし、私気持ちわかるもん!」と思っても、結局何ひとつ当てられないなとがっかりすることが多い。

でも、それは仕方ない。他人だもの。

■君は君だよ


先日、年長さんたちが近隣の小学校に行き、給食を食べてくるというイベントが行われた。
長男がどうだったか詳しく聞けていないのだが、給食については、本当に不安しかない。

“給食を残してはいけない時代”を小学生として過ごしたため、トラウマになった筆者。給食が食べ終わらず廊下に机ごと出され、泣きながら食べた午後。残飯を机に隠してかびさせ、給食の時間になると熱が出て保健室で食べる日が月単位で続いた。

考えるなといわれても、つい小学1年生当時の自分に、長男を重ね合わせてしまう。

「時代も違うし、今はそんな指導しないですよ」と進学予定先の校長先生は言う。

そうだなあ。もうちょっと周りや本人を信じて、そっと送り出す時期なのかもな。

「いじめもね、相手がイヤだと思ったらそれがいじめです、と指導していますから」

かつていじめ被害に遭っていた小学生のころ。地元のボスにやられていたので周りが口裏を合わせて、いじめはないことにされていた。そこで「ボイスレコーダーがあれば証拠を残せるのに!」と思っていたことを、昨今のニュースを見ながら思い出したのだが、今はそれらが簡単に手に入るいい時代だ。

もしこれから小学校に上がり、子どもがいじめにあって不登校になったら?

今の自分ならもっとひどいことも人生でいろいろ経験して、その上でどう回避できるかも知っている。その知識が役に立つなら、教えてあげられるかもしれない。しかし、それは今の彼が本当に欲しい情報なのかは、親といえども察しようがないのだ。

年長の子を持つ保護者の多くがそうかもしれないが、小学校に入ったあとは子どものようすが見えにくくなるのではと心配している。「些細なトラブル」で済まない事態になっていたらどうしよう。

「子ども同士の約束なんて“大人パワー”使えばどうってことないから、『絶対親にいうなよ』っていわれてもイヤなことされたら教えろ」というのは、小学校社会において通用するのだろうか。

せめて親としては、「自分は昔こんなことがあった」という話を積極的に出して、身近に感じてもらおうとは思っているのだ。自慢じゃないが、“しくじり”ならたくさん持っている。

ちなみに、次男についてはそもそも自分に似ていないところからのスタートなので、あまり長男のような心配はしていない。しかし成長の課程で違ったベクトルの問題は起きるのだろう。それまでには筆者の“親スキル”が上がって、顔色ひとつ変えずに対応できているとかっこいいなあ……と思っているのだが。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。