ひと昔前の結婚は、ぬか床に似ている。
その家ごとの味を守っているぬか床に、嫁という新しい「ぬか」が入り、なんだかんだありながら、かき回されて馴染んでいくような……。

馴染める「ぬか」は、ある意味幸せかもしれない。馴染めない「ぬか」は、居場所を探してしまいそうだから。


さて、以下は嫁あるあるともいえる、ある人の経験談だ。

・「嫁をもらいにいく」発言に対し、お嫁さんはモノじゃない、と憤慨。

・舅と姑の会話が聞こえてきた。
舅「おまえ(姑)が、嫁をしつけなさい」
しつけるとは何事!?と憤慨。

・葬式のときに、義理の姉に仏壇にあげる料理の位置をしっかり覚えておくように言われ、「私、家と結婚したわけじゃないです!」と親戚一同に公言してしまった。


けっこう威勢の良いこの女性、じつは私の義母である。
本人は「生まれた時代を間違えた」と言っているがさもありなん。40年前に、家ありきの結婚や、妻は夫の家に入るべし、という風潮をイヤと思えど公言する人は少数派だろう。

というわけで私の場合は、ぬか臭き伝統を打ち砕いてきた義母のおかげ&介護問題等が勃発せず、家系統の指示は受けずにフラフラしていられる。

これは……はっきり言って、かなりラッキーだ。

■何がいざこざの原因になるのか


被害にあっていない自分がアレコレ言うのも恐縮ですが、通常、嫁と姑は、夫であり息子を介して義理の親子となるわけで、家の微妙な文化の違いから摩擦が起きているように思える。

摩擦化している原因のひとつは根底にある両者の思いじゃないだろうか。姑は姑が築いてきた家庭の常識を嫁に引き継いでほしい(引き継ぐのが当然)という願いがあり、自分がやられてイヤだったことは忘れているフシがある。嫁は嫁の両親が培った常識を自らの家庭で反映させるのが自然だと思っている。

が、ご存知のとおり家庭によって常識は異なる。
それぞれが、自分の常識が一番よろしいと思っているので、相違点が見つかると「息子が大事にされていない」や「甘受している夫にイライラする」と感じるのだろう。

■大事にしているものの違い


周知のように私たちの親世代は、「女性は家で家事・育児」の意識がデフォルトだ。それを肯定し、自らの仕事だとプライドを持ってこなしてきた専業主婦の方々も多いだろう。

対して私たちは、就業&家事育児が多数派で、仕事はあくまでお金をもらっている方、という意識が強い。

これら対極にいる立場の人を認めるというのは、頭でわかっていても、なかなかにして難しい。まして血がつながってないのに夫(息子)を介して家族とみなされてしまう嫁&姑の微妙な距離感、年上は敬えの儒教思想、母親としての先輩・後輩の関係性、とモヤモヤを誘発するいろいろが一式セットになっている。

だから、この両者が和気あいあいとなるのは、至難の業だ。結婚観や母親観、人生観が似ていて、なおかつ「親しき仲にも礼儀あり」がお互い不可欠だろう。

姑側は家離れ&子離れしているか。嫁側はマイルールに縛られすぎていないか、などなど超えるハードルは多い。

■子育ての反省


義母は、毎年1ヵ月くらい我が家に滞在する。その期間、毎日こまごま話しながら、人生観が似ていることが分かってきた。

裏を返せば悩みや反省点も似ていて、「『子どもが一番!』な状態になれない」とか「子育て中も関心は自分に向いていて、自分は何をすれば満たされるのかを探していた」なんて私もドンピシャの懸案である。やっぱりそうなりますよね、と。

義母には「母親だろうが、一人の人間として自分を発展させていけば良いのだ」と背中を押してもらっている。敵になりそうな立場の人が味方なら、こりゃその方向でぶっちぎるしかない。おかげさまで私は、夫より収入がとっても少なかろうが、家事が得意でなかろうが、開き直って家庭にいられる。私もまだまだ成長中なんです。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。