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この映画はすごい。込められたメッセージがダイレクトで強い。
「子どもがドラえもんをみたいっていうから、なんとなく一緒に来たんだぁ」というパパは注意した方がいい。胸を撃ち抜かれて、考えさせられるだろうから。

(※以下本文、ネタバレを含みますのでご注意ください)

■母子ではなく、父子にフォーカス


今回の「のび太の宝島」は、毎年ドラえもんの映画を見ている人からも評価が高いようだ。
私は近年のドラえもんをみていないのだが、「宝島」は現代社会への示唆に富みまくっていて、笑いあり、涙あり、友情あり、感動あり……そりゃ人気があるなと納得した。私が感じた今回の太い柱は「父子愛」である。

子どもにとって、お父さんというものは物理的に家にいなかったり、いても子どものために一緒に何かをするというより、場所をやんわり共有している間柄だったりする。お母さんが密着している存在だとしたら、お父さんは2~3メートル離れたところにいる存在だろう。

良く言えば、適度な距離があるので、子育てや家族の生活を俯瞰してみることができる。
悪く言えば、家族から孤立しがちであり、他人事っぽいときがある、といったところか。

しかし、お父さんはそんな距離から子どもたちのことを愛していて、子どもたちもそんなお父さんが大好きなのだ。

■誤訳で悲劇が勃発


さて映画には、とある仲の良い家族が登場するのだが、お母さんは幼い子どもたちを残して亡くなってしまう。その時、お父さんに「子どもたちの未来をお願い」と託していく。

この場合の「未来をお願い」の意味は、いわずもがな「子どもがよき人に育つよう、そばにいて見守って。」という意味であろう。

だが、作中のお父さんはお母さんが亡くなったショック&地球がお先真っ暗という事実を知り、「自分たちの子どもの未来を明るく」という目的が、「世界の子どもたちのため、地球じゃない星に連れていく」へとすり替わる。

そのためなら、自分の子どもたちが荒れようが、寂しかろうがおかまいなし。お父さんは寝食を惜しんで体を病みながら、大儀を果たさんと暴走するのだ。

「おいおい、そこじゃないだろ~?」半径1メートルを幸せにできないやつが、なんで地球の未来を明るくできるんだよ、と我々お母さんなら思う。

でもお父さんは大真面目。そのためなら、手段も選ばない。

■ちびっ子のいる家庭生活にダブりまくる


さて、ここまで読むとなんとなく分かっていただけると思うのだが、上記のストーリーは、「子どもや家庭のためと思って、仕事に没頭するお父さん像」とリンクしないだろうか。

本人は、自分の子どもと家族のためにがんばっているのだが、いまいちそれが子どもたちに伝わっていない。悲しいかな、幸せの尺度が家族とちょっとズレているのだ。

子どもにとっての幸せは、きっと、お父さんとただ一緒に過ごせればいいのである。特別どこかのテーマパークに連れて行かなくても、新しいおもちゃを買わなくても、一緒に近所の公園に行き、スマホを見ないで、自分を見てくれればいいのだ。たまにの夕飯時に、「お父さんと一緒に食べる」ことがプレゼントみたいなもので。

私はそんなモヤモヤを抱えていたので、ドラえもんを見終わったあと、「ワークライフバランスの重要性を説かれながら、いまいち共感できない(実感できない)現代のお父さんへ向けたメッセージなのではないか」と勘繰ってしまった、というワケだ。

というわけで、同じようなモヤモヤを抱えているお母さんがいれば、お父さんもいっしょにドラえもんを見に行くといいだろう。本人たちは違う感想を持つかもしれないが……。

■ちりばめられたメッセージ


ドラえもんの映画を子ども時代にリアルタイムに見ていた私たちが親となれば、当時よりも視点が増えたことで、作中から受け取るメッセージは格段に増えるだろう。

私がこまごま感じたことを列挙すると、やっぱりかわいい子って得、ジャイアンは裸×骨アクセのスタイル多いな、心理学でいうところの「父親殺し」ってこれか、プログラミング対決はこうビジュアル化すればいいのか、ミニドラはロボットだから奴隷的に働かされてもOKなのか、ドラえもんは子どもと保護者の中間に位置するのだな、のび太のママへのシンクロが止まらなくて危機を感じる、などなど、大人も飽きるヒマがない。

対して大きく感じたのは、30年前のドラえもんと比べたキャラクターの変化である。
か弱い姫役から、行動できる姫になっているしずかちゃん。「男を見せろ!」というジャイアンと、「だから、男らしさってなに?」と問いかけるスネ夫(ジャイアンは古いカッコよさを温存)。ロボットのはずが、熱い思いと根性で限界を超えるドラえもん。

のび太は、変わらず「人の喜びを喜び、悲しみを悲しめる」人間らしい人間の代表格で、暴走していた前述のお父さんに、こう言う(たしか)。

「ボクらは何も知らない子どもだけど、大人は絶対に間違わないの? 僕たちが大事にしたいと思うことは、そんなにまちがってるの?」

ごめんねのび太~、大人も間違いだらけだよぉ(涙)。
子どもの方がシンプルだから、合ってることが多いかもよぉ(鼻水)。

元・子どもだった私たちは、ドラえもんを見て、子どもの頃の記憶と大人の気持ちを行き来する。その「エクササイズ」は頭にぐわんぐわん響いてきて、生活を内省し、子どもへの愛おしさを確認し、大人で子どもの自分が好きになって、最後に集約されるのが「ドラえもん、すごい」。

上映中「こわい~」と号泣しだした長男(5歳)、後半眠りについた長女(2歳)より、ドラえもんは、私たち夫婦に響いたようだ。

『映画ドラえもん のび太の宝島』公式サイト
http://doraeiga.com/2018/

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。