育児とは親子の超密接な時間であり、ときとしてものすごく煮詰まってしまうことがある。子どもが小さければなおさらだ。
魔の○歳児とはよく言ったもので、本当に悪魔に見えることすらある。こんなに愛おしい存在なのに、イラッとしてしまう自分にまた苛立ちが募り、こうなるともう悪循環しか生まない。
そんなとき、第三者の介入で、ことがスムーズに運ぶことがある。
母と子の対立を父親が仲裁するといった家族間のことだけではなく、ときには他人にも助けられる。道ばたで大泣きするわが子に苦戦していたところ、見知らぬおばあちゃんに声をかけられたらスッと立ち上がって笑顔になる、なんてこともある。
そうはいっても、第三者なんてつねにいるわけではない。そこで筆者は、<絵本>にその役割を担ってもらう術を見つけた。

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魔の○歳児とはよく言ったもので、本当に悪魔に見えることすらある。こんなに愛おしい存在なのに、イラッとしてしまう自分にまた苛立ちが募り、こうなるともう悪循環しか生まない。
そんなとき、第三者の介入で、ことがスムーズに運ぶことがある。
母と子の対立を父親が仲裁するといった家族間のことだけではなく、ときには他人にも助けられる。道ばたで大泣きするわが子に苦戦していたところ、見知らぬおばあちゃんに声をかけられたらスッと立ち上がって笑顔になる、なんてこともある。
そうはいっても、第三者なんてつねにいるわけではない。そこで筆者は、<絵本>にその役割を担ってもらう術を見つけた。

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