夏休みのある日、友人家族と出かけた。わが家は小3の息子ひとりの3人家族。友人のところは小2のお姉ちゃんと未就学の弟くんで4人家族だ。
私は、子連れ同士で誰かと一緒に出かける経験が多い方ではない。自分の子に手がかかると、周りにペースを合わせられそうもなく、幼児期は特に「誰かと一緒」にはあまり積極的ではなかった。でもさすがに小学生になるとその点はだいぶ気楽である。
とはいえ、まだところどころ手を焼く。友人の弟くんは「お年頃」ど真ん中だから、当然ぐずりも発生する。それでも、うんと気が楽なのだ、なんだろうこれは。子連れで一緒にお出かけってこんなに楽しくて気楽だったのか。
同じ年頃の子どもを持つ母親同士の気楽さっていうのが、どうやら作用しているようなのだ。子どもにぐずられた時、我をはられた時に、「困っちゃうね」「嫌になっちゃうね」とラク~に共有できる。
「子どものぐずりって、どう説得しようが怒ろうがなだめようが、本気でどうにもならないことがある」っていうのを体感的に知っている人が一緒にいるのはかなりの安心感だ。
もちろん、もともとトーンが合うとかそういうベースの関係はあるにしても、嫌になっちゃうことを包み隠さず「イヤ」と共感できること、この気楽さは大きい。

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私は、子連れ同士で誰かと一緒に出かける経験が多い方ではない。自分の子に手がかかると、周りにペースを合わせられそうもなく、幼児期は特に「誰かと一緒」にはあまり積極的ではなかった。でもさすがに小学生になるとその点はだいぶ気楽である。
とはいえ、まだところどころ手を焼く。友人の弟くんは「お年頃」ど真ん中だから、当然ぐずりも発生する。それでも、うんと気が楽なのだ、なんだろうこれは。子連れで一緒にお出かけってこんなに楽しくて気楽だったのか。
■参っちゃうね、の共有
同じ年頃の子どもを持つ母親同士の気楽さっていうのが、どうやら作用しているようなのだ。子どもにぐずられた時、我をはられた時に、「困っちゃうね」「嫌になっちゃうね」とラク~に共有できる。
「子どものぐずりって、どう説得しようが怒ろうがなだめようが、本気でどうにもならないことがある」っていうのを体感的に知っている人が一緒にいるのはかなりの安心感だ。
もちろん、もともとトーンが合うとかそういうベースの関係はあるにしても、嫌になっちゃうことを包み隠さず「イヤ」と共感できること、この気楽さは大きい。

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