5381170

大震災の日から、早くも4ヶ月が経過しようとしている。1年の3分の1、長い時間だ。それにも関わらず、筆者の心は夜中の「ふくいちライブカメラ」に映し出される光景のごとく、日々もくもくの白煙に翳んでいる。何故か? 極個人的な見解なれど、一度率直なところを記しておきたい。

筆者の生息地は原発から250キロ圏内、心持ち北寄りの首都圏である。震災時小学2年と年少、それと0歳の子どもがいる。3.11の地震自体は震度5強。揺れはしたが、免震マンションのお陰で書斎に積み上げた文庫本タワーも崩れない程度の被災で済んだ。水もガスも電気も止まることはなかった。

だから本当の「災害」は、あの計画停電開始の後にやって来たというのが偽らざる実感である。日々不確定な計画停電に生活の全てを揺さぶられながら、日々小出しにされる原発の放射能問題に翻弄され続けた。加えて頻繁にあった余震のために、まさに四六時中目が回っていたのを思い出す。

あの頃、尽きたコメや紙オムツを求め、赤子を背負って街を彷徨い歩いた記憶は新しいようでいて、既に遠い。しかし、後にその上空を放射性ヨウ素や放射性セシウム、その他の何かいろいろ……が飛び、そして降り落ちていたことを知る。その約1週間後、降り続いた雨水にもそれらは多く含まれていた。続きを読む