ひとりで歩いていた時のこと。ちょっとよろけて右側にルートがずれた直後、後ろから来た自転車が追い抜きざまに、ごちゃごちゃっと恨み言と舌打ちのまざったかたまりを吐きすてていった。自転車は子ども乗せ自転車で、運転していたのは男性。夕方の送迎タイムだったから、彼も何かすごく急いでどこかに向かうところで、ひどくイラついていたのだろう。

■たしかにひやりとするけれど……


いや、わかるよ。私も子ども乗せ自転車で走っている時に、前の人が急にルートを変えたりするとひやりとする。通常は相当気を遣っていても、道路事情は悪いし、ひどいイライラモードのときは、文句のひとつも言いたくなったりも、そりゃぁまぁ、する。

でも、絶対にそれを口に出しては言わないし、舌打ちもしない。模範解答的な意図ではなく、もっと何か違うレベルで大きな抑止力が働いているからだ。

■「親」ラベルという抑止力


抑止力になるのは、子ども乗せ自転車という「親」のラベル。

もし私が自転車で追い抜きざまに舌打ちをしたら、それは「通行人に舌打ちした女性」ではなく、「通行人に舌打ちした誰かのお母さん」になってしまうという意識が常に頭の隅にある。「ノンジャンル女性」ではなく「母」というラベルが自分の前面についているから、「そういうお母さんはまずいよなぁ、避けたいなぁ」というのがシンプルに抑止力になる。

「◯◯くんのお母さん」と特定される可能性があるから下手なことはできない、というのもゼロではないけれど、もっとベースの部分で「親」モードが起動して、「それをやるのはまずいよね」という「親タブー」な項目が頭にセットされる感じだ。

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